衆議院議員
はせ 浩 ホームページ

はせ 日記
平成24年
10月10日(水)

10月 9日
10月11日


■10月10日(水)

 3時46分起床。
 さっそく被災地(女川町、大船渡市、東松島市、女川原発、南相馬市等)出張の準備。
 今回の視察同行は、川村くん。
 秘書が同行できないので、やむを得ず、教え子の川村くんにお願いする。

 4時50分にはハンドルを握り、昨夜上京してきて、渋谷の東急インホテルに宿泊している川村くんをお迎え。
 まだ街は薄暗い。
 渋谷道玄坂あたりは、もう、というか昨夜からの名残を惜しむお客様?が、そこかしこ。
 渋谷は眠らない街。
 信号のところで、大きなカバンを持った川村くんを発見。
 馳〜「お迎えにあがりました!」
 川村〜「いえいえこちらこそ、お願いいたします!」と、師弟関係の朝のごあいさつ。
 さっそくナビを頼りに女川町を目指す。
 よ、よ、450キロ?
 がんばっぺ。
 5時ちょうどに出発。

 首都高速の富ヶ谷入口から入り、東北道へ抜ける。
 すいている。
 快調!
 6時過ぎには空が白みはじめ、国見サービスエリアでガソリン給油休憩。
 さわやかな秋空。
 仙台南インターから仙台東部自動車道を抜け、三陸道へ。
 昨年は対面通行区間が多かったのだが、ほとんど四車線化に。
 震災の影響だろうか?
 事故や工事をしていても、四車線道路ならすいすいと。
 過疎地域と言えど、災害避難道路であることを考えれば、全国の高速道はすべて四車線化にしてほしい。
 高速道は、全国各地域がつながっているからこそ役割を果たせる。
 災害対策としても四車線化は必須。

 被災地を訪問するのは初めてのいつもはおしゃべりな川村くんは、石巻市から沿岸部の被災状況を見て、口数が少なくなる。
 馳〜「どうですか?」
 川村〜「いやぁ〜、言葉もありません。これ、日本人だったら必ず見に来なきゃいけませんね!」
 馳〜「そういうこと。それも自分で運転してね!」
 川村〜「どうしてですか?」
 馳〜「バスや電車や飛行機じゃ、この生々しい被災地の苦しみがわからないからだよ。自分の家を流され家族が犠牲となり仕事を失うということがどういうことかは、自分で運転してみて回らなきゃ、実感できない。とりわけ政治家は、自分で運転して、見に来なきゃね!」と、ひとくさり。

 今回、大まかな日程しか決めてなかったので、助手席では、川村くんがあちこちに電話連絡してスケジュール調整をしてくれる。
 うちの秘書よりよっぽど間に合う?
 馳〜「どうだ、俺の秘書にならないかね?」
 川村〜「辞めておきます!」
 馳〜「なんでや、そんなにすぐに答えなくてもいいやろ、検討しますとか!」
 川村〜「だめっす。代議士の秘書は精神的につらすぎます。私はプロレスのプロモーターが向いてます!」と断言。
 プロモーターも秘書も、渉外業務の大変さに変わりはないような気がするのだが、まぁ、いいや。

 9時45分、予想していた時間に、女川町仮設庁舎に到着。
 駐車場で、阿部俊子代議士と、宮城県看護連盟前会長の岸野すみ子さんがお待ちかね。
 ご挨拶もそこそこに、須田善明町長を表敬訪問。
 町長室にお邪魔し、10時から11時まで、被災地復興状況についてのミーティング。
 馳〜「町づくり説明会や協議会の進み具合はどうですか?」
 須田〜「区画整理を進めようにも、職員マンパワー不足が致命的です。地権者との交渉は大変ですから。兵庫県各市や豊田市や川崎市から優秀な市職員を派遣していただいてなんとか対応できています。全国からの応援には本当に感謝しています。」
 馳〜「これからは隣の石巻市と合併したほうがいいんじゃないですか?」
 須田〜「小回りがきくので合併しないほうが良いです。石巻、雄勝、女川、牡鹿、渡波、北上、河北と、被災した地域にはそれぞれの地域事情があります。住民からすれば、何か相談するにしても、役所が身近にあったほうが機動的です。」

 馳〜「復興予算の使い方について何かありますか?」
 須田〜「権限を市町村任せにされても、財源が自由にならなきゃ意味がありません。復興庁との交渉が大変です。報道されているような復興予算の流用は、よくわかりませんが、やっぱり被災地の現場に使ってほしいですね!」
 馳〜「女川町の仮設住宅の入居状況はどうですか?」
 須田〜「1290棟に3000人弱が住んでいます。私も仮設に入居しています。町外には、600棟、およそ1000人が帰れる日を待っています!」
 馳〜「今後の見通しはどうですか?」
 須田〜「被災者のうち、町内定住希望者が4割、町外移転者が2割、未定が2割です。被災者全体の4分の3を定住促進へとつなげていきたいです。戸建タイプと集合住宅タイプの住居の準備もしており、最大で住宅再建に200万円を支給する予定です。能登半島沖地震の住宅復興案も参考にしています!」とのこと。

 同行していた川村くんは、町長室に貼られているプロレスポースターに反応。
 川村〜「これ、21日にやるんですよね?」
 須田〜「そうです、ご協力をいただいて、無料でやります。長州さんや藤波さんやタイガーマスクが来るんですよね!」と、昭和のプロレス世代には、たまらない豪華メンバーに、心が動く。
 須田〜「馳さんも出てくださいよ〜〜!」
 馳〜「さすがに私はもう引退していますので、無理です。でも、良かったですね!」
 須田〜「すっごく楽しみにしています!」って、町長が興奮してどうするのさ?!
 でも、プロレスだからこその楽しみもある。
 おおいに盛り上がってほしい。

 馳〜「ところで、復旧や復興にハードルとなった法律はありますか?」と、お聞きすると、
 須田〜「市道・県道・国道の区割りとか、車庫証明とか、埋蔵文化財保護法とか、1級や2級の河川区割りとか、産業廃棄物と一般廃棄物の仕分けとか・・・ある意味、国が全責任を持ってほしいと思いましたよ!」と、率直にお話になる。
 そりゃそうだろう。
 緊急時の対策には、法律の壁をできるだけ低くして、自治体の判断で速やかに動ける体制が必要だ。
 須田〜「訪問診療、訪問看護、訪問介護など、女川モデルの医療過疎対策をやっています!」と。
 須田〜「女川高校も2年後に廃校が決まり、跡地は特別支援学校にします!」と、おっしゃる。
 寄宿舎付き。
 国の支援でJR路線も復興が決定。
 中心市街地に公的機能を集約した、コンパクトシティを再興するのが目標とか。

 懇談終了後、東北電力の齋藤光春さん(火力原子力本部副本部長・女川駐在地域統括)と、蘇武 司さん(女川原発地域総合事務所課長)が仮設庁舎駐車場にお迎えに来てくださり、町内の被災現場視察へ。
 まずは、高台の総合病院駐車場へ。
 ここは、女川湾内を一望できる。
 何もない。
 震災の傷跡は、そのまま。
 東日本大震災慰霊の塔が建立されており、まずは両手を合わせてお祈り。
 3.11、津波にさらわれたまんまの、がらんどうの街並みを眺めると、胸が痛む。
 犠牲者に合掌。
 そのあとは、仮設住宅や消防署仮説庁舎や湾内水産企業の再建現場を訪問し、視察。

 お昼ご飯は、「活魚 ニューこのり」へ。
 美味しそうなメニューに、心は躍る。
 「さんま定食にしようか、アナゴ丼にしようか・・・」
 さんざん迷った挙句、いくら半丼に決定。
 川村くん〜「さっきまで、さんま定食だって張り切ってたじゃないですか、変わり身が早いんだからもう!」
 馳〜「いいんだ、それが俺だ!」って、わけのわからない理由で、いくら半丼に決定。
 でも、俺の勘は、どんぴしゃりだったようで、とても美味しくいただくのであった。

 お昼ご飯に納得できると、今日一日がとても素晴らしい一日だったような気がする(おおげさ?)。
 で、女川に来てさんまを食べないのも何か申し訳ないので、お土産にレジで「さんまかりんとう」を二袋購入。
 さんまかりんとう、見本をいただいたが、意外と?美味しかったぞ!

 13時半、東北電力女川原発視察。
 津端所長から、現状の課題を教えていただく。
 昨年来、原発停止のままで、一日7〜8億円の損失とか。
 3・11以来、累積2000億円を超える損失。
 馳〜「じゃあ、政府の2030原発ゼロ方針をどう思いますか?閣議決定してませんけど・・・」と、率直にお聞きすると、言葉に詰まる津端所長。
 そりゃ、「早く政権交代してください!」なんて口が裂けても言えまいが。
 入り組んだ入り江に位置する女川原発。
 震源地には福島第1原発よりも近いのに、速やかに「停める〜冷やす〜封じ込める」の緊急時対応できている。
 非常用電源が高台にあり、停電後も速やかに対応できたのだとか。
 ということは、シビアアクシデントマネジメント マニュアル、が機能したということ。
 現在は3機とも停止中。
 再稼働に向けたストレステストも実施中。
 馳〜「原子力規制委員会は、科学的知見を積み重ねて安全性の評価だけだって。再稼働の判断は政府=政治判断って報道がありましたけど、責任者としてどう思いますか?」と、意地悪な質問をしても、
 津端〜「安全性に問題がなければ、ぜひ、再稼働を・・・・」と、言葉を慎重に選ぶ津端所長。

 視察終了し、ここで阿部俊子代議士と別れて、東松島市役所へ移動。
 いつも視察の段取りをしていただく阿部俊子代議士は、行動的で理論派。
 石巻市生まれ。
 馳〜「阿部さん、この選挙区から出ればいいんじゃないの!?」と、無礼にも申し上げると、
 阿部〜「何言ってるの、わたしを受け入れてくださった岡山の選挙区のみなさんに、申し訳が立たないじゃないの!」と、色を成して即座に否定する阿部さん。
 確かに。

 16時過ぎ、東松島市役所 到着。
 ここで、ボランティア団体「スマイルシード」の黄本代表と合流。
 工藤昌明教育長を表敬訪問。
 小山直美(男性)教育次長とともに、意見交換に応じてくださる。
 馳〜「被災地の小中学校の統廃合はうまく進んでいますか?」
 工藤〜「鳴瀬地区の小中学校の統合再編を行う場合も、学校施設災害復旧費の対象となるようにお願いしたいんです!」
 馳〜「対象にならないんですか?」
 工藤〜「上物はなるんですが、土地代が、どうなるかわからないんです・・・・」
 馳〜「被災地である特殊事情もあるのでしょうから、帰ってから文部科学省の担当者と復興庁に確認してみます!」と、お答えする。

 この鳴瀬地区は、沿岸部であり、小中学校3校が被害にあっている。
 当然、沿岸部に再建はできない。
 統廃合は必然。
 内陸部に移転するとなると、高台を切り開いての飛び地に校舎再建となる。
 ・・・おそらく、今までの補助事業の基準では、うまくいかないんだろう。
 東松島市としては、校舎再建と合わせて、同じエリアに社会教育施設(運動場や体育館等)の復旧も併せて要望している。
 こういう街づくり再計画にこそ、大規模震災への復興予算がぞんぶんに使われてしかるべき。
 詳細な事情をお伺いし、担当省庁に掛け合うことをお約束する。
 いつまでもプレハブ校舎に、子どもたちを詰め込んでおくわけにはいかない。
 そして、地域の社会教育施設を併せて再建するならば、備蓄倉庫や防災拠点としての機能も必要。
 総合的に判断すべき。
 まちづくりには、教育施設整備は欠かせない。
 そこにコンパクトシティ再構築のアイディアが必要。
 防災集団移転促進事業などで対応できないかな?
 学校建設の場合は、基準面積の問題もあろうし。
 合わせ技で何とかなるように支援したい。

 また、黄本代表からは、植樹計画へのご理解を求める発言あり。
 こういうNPO団体の活動も、行政の理解有らばこそ。
 あれこれと地域事情をお伺いし、勉強させていただく。
 懇談終了後、大船渡市へと移動。

 19時半、到着。
 さっそく、今晩の宿泊所を手配していただいた、医療法人「勝久会」の木川田典彌理事長宅を訪問。
 川村〜「どうしてごあいさつに行くんですか?」
 馳〜「それが政治家というもんだ。直接お礼を言うのが筋だろう!」
 川村〜「でも、約束していた居酒屋ふうには20時に到着予定ですよ!」
 馳〜「木川田さんのお宅は、玄関でご挨拶して、金沢のお土産を渡したら、すぐにお暇するから!」
 川村〜「わかりました!」と、いうことで玄関にお伺いしたら、
 木川田〜「ようこそようこそ!中に入ってお茶でも飲んでいきなさい!」と、おすすめいただき、前言撤回。
 馳〜「わかりました!」と、靴を脱ぐ。

 この変わり身の早さに茫然とする川村くん。
 で、木川田会長にいれていただいたコーヒーを飲みながら、金沢の仁智会の北中理事長のことを報告。
 木川田〜「北中さんにも全国の会長選挙ではお世話になりました!」と、全国老人保健施設協会の会長選挙の物語をお伺いする。
 馳〜「ところで会長、晩御飯食べましたか?」
 木川田〜「まだなんだよね!」
 馳〜「じゃあ、一緒に行きましょうよ、駅前の居酒屋ふう。ちょっと事情があって、そこにお伺いすることになってるんですよ!」
 ・・・・初対面の会長に、あつかましくも晩御飯をお誘いする、はせ浩。
 木川田〜「いいよ。行こう!」と、あっさりと快諾する会長。
 このプロレスラー的展開に仰天する川村くん。
 川村〜「代議士、本当に厚かましいですね!」
 馳〜「人生そんなもんだ!」と、わけのわからない理屈をこねて、会長を乗せて居酒屋ふうへ。

 金沢の支援企業、タムラテントの奥様から、
 「こないだ私たちも視察に行ってきたのよ、大船渡へ。国会議員なら、こういうところに行って、被災地の現状を勉強してきなさい!」とアドバイスをいただいており、ここで晩御飯を食べるためだけに、大船渡市にやってきた次第。
 大プロレスファンという店主の千葉誠さんと、息子のしょうへい君。
 そして、タムラテントの奥様の同級生だという、みかさんも勢ぞろいし、乾杯。
 地酒や地元のお刺身をいただきながら、話題は深まる。
 昨年の大震災からよみがえってお店を再建した店主の千葉さんに、この1年間の実情をお伺いしたり、木川田会長と老人保健施設協会の政治的な懸案をお伺いしたり。
 大船渡市に来ただけのことはあった。
 やっぱり、現場に来て、直接お話をうかがわなければならないことが、山ほどあった。
 感謝。
 22時半過ぎにお開き。

 宿泊施設付き結婚式場の「大船渡アーバン」へタクシー移動。
 雨。
 こんな山の中に、と思うような場所に、豪奢な結婚式場。
 でも、昨年の震災の後は、葬儀葬儀で、大変だったとか。
 我々の遅い到着を待っていた支配人さんは、いまだに仮設住宅に住まいしながら勤務とか。
 「でも、仕事があるだけイイですよ、私は・・・」と。
 和室の布団にもぐりこんだのは、午前様。


10月 9日
10月11日
戻る
先頭メニューへ