4時53分起床、身支度を整えて、出発準備。
6時にはタクシーに迎えに来ていただき、居酒屋ふうへ。
昨夜は痛飲したので、車を置いたままだった。
川村くんと一緒に出発準備をしてると、こんな朝早いというのに、歩いて通勤する中国人女性の一団と遭遇。
雨。
傘をさして職場に向かう中国人女性。
異国での勤務は大変だろうに。
「おはようございます。頑張ってください。」と、朝のごあいさつに声をかけると、
「は〜〜い!」と、嬉しそうに歩いていく。
日中友好に貢献した気分?
6時10分、ハンドルを握り、一路、南相馬市を目指して出発。
東北自動車道を利用すれば早く着くのだが、それでは被災地視察の意味がない。
少々遠回りだが、海岸線の国道45号線を南下する。
朝の通勤ラッシュに巻き込まれるも、それもまた現地事情。
はじめてみるリアス式海岸と、はせ浩の下手な運転?に、目を丸くしながら助手席の取っ手につかまる川村くん。
眼前に広がる絶景とともに、津波の傷跡に、やはり、言葉が少なくなる。
馳〜「どうだね?」
川村〜「1年半経ってもまだこれですか?」
馳〜「そうです、この現状を見てほしかったんです!」
川村〜「民主党政権だからですか?」
馳〜「それだけではない。被災した沿岸部が長すぎて、復興計画を作り上げて実施するには、過疎の市町村の能力限度を超えているんだ!」
川村〜「じゃあどうすればいいんですか?」
馳〜「市町村=県=復興庁&関係省庁や専門機関の連携に尽きる。それを迅速に指導するのが政治判断だ!」
川村〜「・・・・・・・・・・・・・」
被災地の惨状と現状は、川村くんの想像を超える事態であったようで、やはり政治の役割を深く認識した模様。
日本国民、全国民が、いまだ震災から復興できずにいる現状を直視し、あらゆる支援を集約させねばならない。
国政も与党も野党もない。
結集すべき時。
じゃないと、本当の日本の復興はあり得ない。
とりわけ、過疎の市町村の痛みを知り、支援の輪を拡充すべき。
財源も、専門的職員も、情報も不足している。
俺も、継続して視察にやってきて、できる限りの支援を加速していきたい。
そして、一人でも多くの国民に、この被災地支援に関われるように、情報を伝えていきたい。
今回、地道にNPO団体として継続支援をしている黄本代表にもお会いしたが、
「東日本大震災は、まだ進行中なんですよ!政治や行政の支援が必要だし、自立もさせてかなきゃいけないんですよ!」と。
その通り。
陸前高田市〜気仙沼市〜南三陸町〜石巻市・・・
いったい、いつになったら町づくりの槌音が響くのだろう。
あれから1年半。
政治は何をやっておるのか!
復興を阻む壁って何なんだ?
無為無策に時間ばかりが過ぎているような気がしてならない。
悔しい。
早く臨時国会を開いて、今回の視察で得た情報を政府に質したい。
野田総理、早く臨時国会を開くべきだ。
石巻市では、大川小学校を視察。
校舎周辺は、がれきこそ撤去されていたが、津波被害の校舎はそのまま。
慰霊碑に、合掌。
帰り道、三陸道の河北インター手前の道の駅へ。
わずかばかりでも被災地支援になればと、地元産品をお土産に購入。
梅干し、かまぼこ、サバ味噌煮、ホタテ煮つけ、クジラ肉味付け、かりんとうまんじゅう、ゆずようかん、わさびかんりとう、するめいか・・・・
11時50分、ようやく南相馬市役所前 到着。
村田崇副市長の出迎えをいただく。
感謝。
場所を移し、、お昼ご飯。
現状をレクしていただく。
復興仮設商店街のラーメン屋さん。
店を流された商店が、軒を連ねる復興商店街。
「最近はお客さんの出足も鈍いようで・・・・」と副市長。
でも、注文したラーメン定食は、とても美味しかった。
お店の中では、ボランティアで南相馬市に、派遣されている有志とも意見交換。
「兵庫から来たんです。17年前の大震災でお世話になったお礼です!」と、おっしゃる。
日本人の精神を見た思いがする。
そのあとは、放射能汚染地域として警戒区域になっていたが、半年前に解除された小高地区を案内してくださる。
誰も住んでいない街、小高地区。
わずか一軒だけ、理容室が営業しているのみ。
副市長〜「毎日、店主が水を汲んできているんですよ・・・」と。
まったく手が付けられていない。
モデル地区として除染を担当するはずの環境省は何をしているのか!
怒りがこみ上げる。
環境省だけで除染ができないのならば、他省庁に応援を求めればいいんじゃないのか?
国土交通省、経済産業省、文部科学省、農林水産省、厚生労働省、総務省・・・・
町が丸ごと手つかずの、この現状では、これはひどすぎる。
「放射性廃棄物処理特措法」を、議員立法として昨年8月に成立させた提案者としては、愕然とするしかない。
下水道汚泥の仮置き場も視察したが、この程度では、どう考えても足りないし。
村田〜「仮置き場の設置すらなかなか住民反対で進んでおりませんで・・・・」と。
仮置き場〜中間貯蔵施設〜最終処分場。
この足枷。
与党野党もなく、放射性廃棄物処理の道のりをこそ、福島県のみなさんに示すべき。
安心が確保されなければ、故郷に戻れないのだから。
特区としての対応が求められるし、政府が前面に出なければならないはず。
14時過ぎ、視察終了。
南相馬市役所前で、村田副市長にお礼を申し上げ、東京へ。
20時、雨の中、渋谷到着。
車を天野秘書に預け、「巨門星」にて勉強会。
異業種交流会。
今回の秘書役の川村くん、プロレスラーの永田裕志君、イベント事務所社長の木川田潤さん、元学生秘書の戸田君、官僚2名、CA、報道マスコミ有志3名。
11名がそろい、被災地視察報告や、それぞれの抱えている課題について情報交換。
感謝。
22時過ぎ、散会。
帰宅。
さすがに、長旅に疲れ果て、爆睡。