3時56分起床、ニュースチェック。
・ 松井タンパベイレイズ 戦力外通告。
打撃不振。
あっという間のお払い箱。
これもメジャーリーグの世界。
さて、どこへ行く、松井。
日本へ帰ってきてくれ、と叫びたい。
日本ならば、阪神タイガースのユニフォーム姿を見たい。
それとも、森先生の後継者?
人物的には申し分ない。
・ なでしこJAPAN、カナダに2−1で初戦突破。
幸先いいぞ。
ロンドン五輪はナデシコ五輪となりそうな、女性パワーの活躍を予感させる勝利。
頑張れニッポン。
気分良く、ジョギングへ!
淡島通りから下北沢経由のコース。
300歩ダッシュを12本。
蒸し暑いお天気でもあり、汗びっちょり。
水シャワー。
気分爽快に背広に着替え、国会へ。
7時半過ぎには 国対に入り、執務。
すると、金沢の西川進一コーチが、警察の実況見分を受けるというニュースが秘書から入ってくる。
「どしたん?」
「自転車で尾山神社あたりを走っていたら、工事車両がいきなりドアを開けちゃって、正面衝突して、転がったようです!」
・・・・
とにかく、毎日何か一つは事件を起こす?お騒がせな西川さん。
でも、この事故は、こないだの手術からのリハビリ中であることを考えると、心配。
さっそく電話すると、前腕の傷口が開いて出血が止まらなかったとのこと。
「気を付けてくださいよ、まだまだ働かなきゃいけないんだから!」と、申し上げる。
西川さんは、まだ車を運転できない。
ので、秘書が警察と連絡を取り、迎えに来てもらって、自転車チェックをして、実況見分に連れてってもらうとか。
相手方も非を認めているとのことだから、もめることはなかろうが。
でも。
前方に車が止まっていたら、(ドアが開くかも)って考えて、少しは車から離れて走らないかね?
そうでもないか?
執務後、9時すぎ国会を出て、羽田空港へ。
昨年来、依頼を受けていた、金沢星稜大学の非常勤講師の仕事。
11時には小松空港に到着し、まずは、澁谷工業本社へ。
連合後援会の澁谷会長に面談をお願いし、一連の森先生勇退発言の経緯を報告。
昨夜の懇親会でも、今朝の電話でも、
「事前に相談しなくて申し訳ない。金沢に帰るなら、くれぐれも澁谷さん、村田さん、米沢さんによろしくお伝えください!」と、伝言を承ってきたので、お伝えする。
「澁谷会長のご意向も伝えましたが、残念ながら、私たちでは慰留できませんでした。よっぽどの覚悟で表明されたようです!」と、申し上げると、澁谷会長も、目を潤ませながら、
「本当に残念だ。森さんがいるからこそ、こうして我々もがんばってきたのに・・・」と、言葉少な。
お昼ご飯を頂戴しながら、小1時間ほど、今後の県政や国政の在り方について、情報交換をさせていただく。
もちろん、解散総選挙に向けてのやぐら組みについても。
もちろん、組織固めばかりではない。
浮動層へのアプローチとともに、無党派層へのアプローチも重要。
金沢という都市部の多い地域では、毎回、頭をひねり知恵を絞る戦略。
「今回、維新の会、みんなの党、それぞれに金沢から出馬をすれば、無党派層や浮動票が雪崩を打つ可能性があり、大変厳しい戦いになります。」と、意見は一致。
「街頭演説、企業団体個人の支援者回り、後援会組織やぐら組み、地区や職域団体や各種後援会での国政報告会、夏祭り回りなど、今まで以上にきめ細かく地元活動の日程を入れていきますので、ご指導お願いいたします!」と、来るべき戦いに向けての準備状況を報告し、ご指導ご協力のお願いを申し上げる。
そうはいうものの、
「でも、森先生がおらんがになったら、だれが後継になるんかなぁ・・・・」と、2区の今後を見据えて、ため息は出るばかり。
「8月5日には後援会緊急総会を開いて説明をされるそうですから、後継問題はそのあとでしょう。」
「ほんでも、選挙はいつや?」
「・・・ロンドン五輪以降の、秋。9月から11月でしょう、か。」と、永田町の感覚的な状況を分析して申し上げる。
終了後、お礼を申し上げて辞し、村田信親会長宅へ。
森先生とは、高岡町中学校の先輩後輩。
今から17年前、参議院候補に浮上した時、森先生から、
「馳を頼む!」と言われ、
「レスリングの馳なら、面倒を見るよ!」といって、当時石川県レスリング協会の村田会長が、「はせ浩とあゆむ会」という後援会を発足させ、選挙母体になってくださった長いご縁。
「森先生は、中学校の後輩だからな、なんとしても応援しんとならん、ちゅうて、がっぱになって応援したもんや!」と、昔を懐かしみながらも、一抹の寂しさを隠せない、村田会長。
そんな恩人にたいして、一つ一つ丁寧に伝言をお願いする森先生の気配りには、国会議員が束になってかかっても、だれもかなわない。
13時半、母校星稜高校へ。
干場校長にごあいさつ後、職員室回り。
本日できたばかりの「はせ通信」第51号をもって、ごあいさつまわり。
14時半より、金沢星稜大学。
特別講義。
「グローバル経国済民」という枠で、非常勤講師により、毎月提供されている講座。
先月は山野市長。
今月は、はせ浩。
テーマは、「社会保障制度改革推進法」について。
19歳から22歳の大学生。
将来の人生設計に関わる、「社会保障とは何ぞや」というお話。
公的年金制度、医療保険制度、介護保険制度、少子化対策。
この、社会保障C経費についての財源論を中心に、対話形式で、議論を進める。
終了後、県庁へ。
県議会の紐野幹事長室で、はせ選対やぐら組の打ち合わせ。
紐野義昭
(よしあき)選対本部長、中村勲選対本部長代理、下沢佳充(よしたか)事務長、高村佳伸(よしのぶ)事務長代理、横越徹(とおる)事務次長。
そして、馳浩と白崎秘書。
選対組織図の構想について、打ち合わせ。
あれこれと相談に乗っていただいたり、ご意見をいただいたり。
「自民清風」の選対入りについても、ご了解をいただく。
これで、正式に、「自民清風」にお願いにうかがえることになった。
良かった。
18時半、小矢部市のJAいなばへ。
自民党津沢支部の総会と懇親会へ。
沼田信良小矢部市議が、津沢支部長。
会費を払い、名簿に名前を書いて、総会に参加。
人事があったので、
「沼田さん、私も準地元やさけ、相談役にでも入れといてま!」とお願い。
「石川県の国会議員が津沢の役員になってもろて、いいがけ?」と、恐縮されるので、
「お隣さん同士やさけ、いいがや。小矢部市からもいっぱい金沢に嫁に来とるやろし、仕事にも来とるやろ!」と、半ば強引に、津沢支部のメンバーに入れていただく。
感謝。
19時半からは懇親会。
談論風発。
「マニフェスト選挙が信頼を失った、こういう時代です。財源あってこその政策です。国民新党とみんなの党も、いろんな事情で自民党から派生してできています。いつまでも決められない政治ではいけません。国家観と政治理念のある保守政党の自民党が軸となって、政界再編に火をつけ、部分連合で、国政を安定化させるべきです!」と、申し上げて、乾杯。
津沢支部にも事情があり、一時は100名を超えていた自民党員も3分の1にまで減少し、寂しい限り。
「何を寂しがっとるがやちゃ。ピンチはチャンス。こういうときこそ、正々堂々と国家国民を論じるのが自民党やがいね。また仲間を集めよまいけ!」と、激励をしながら冷たいビールを注いで回る。
20時にはお開き。
20時40分、和おんの湯へ。
百坂町のでむちんともっちゃんも集合。
水風呂の中では、星稜高校バレーボール部の村上先生や、鳴和中学校の相撲部の生徒と、トレーニング談義。
「圧倒的な体力と、そしてコーチの指導に耳を傾ける素直な心があれば、必ずチャンピオンになれるんだよ!」
「技術も戦術も、それは後から身についてくる。まずは、体力と素直な心!」
「まずは、もうちょっと読書しなきゃな!世の中のことに関心を持たなきゃ!」
・・・熱く語っていたら、元北陸銀行の徳野専務が、にこにこしながら、そばを通って行くのであった。
いつもの楽しいお風呂。
風呂上がりに、またまた冷たいビールとげそ焼きをいただいて、ほっと一息。
本当はビールを飲みたい出むちんは、運転手ゆえに、我慢。
22時45分、出むちんともっちゃんに送っていただき、金沢駅へ。
北鉄の夜行バス。
先日と同じスタッフさんに予約番号を告げ、前から4列目の椅子にどっかりと座る。
ふぅ。
手足を伸ばして、ぐったり。
今日も長い一日であった。
ビールの酔いも手伝ってか、高速小矢部インターに停まるころには、すぐにバタンキュー(死語)。