衆議院議員
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はせ 日記
平成24年
3月12日(月)

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■3月12日(月)

 4時20分起床。
 30年ぶりに自室にベッドを入れたのだが、とても快適。
 星稜高校教員を辞し、プロレスラーになって以来、自室は物置部屋になっていた。
 昨年末、一念発起、大掃除。
 母の制止も聞かずに、あらゆる物を捨てまくった。
 30年ぶりに、広々とした8畳部屋。
 じゅうたんを敷いて、カーテンを付け替えて。
 さて、どうしようかと考えたのは、「安心して寝られる部屋」だった。
 じゃあ、ベッドしかないな!と、いう発想で、家具屋さん行って、大きめのベッドを買ってきた。
 ベッドが設置されたのは3月6日。
 今週末、初めてベッドに横たわった。
 これがまた、あったかい。
 今まで布団を敷いていた和室は、地下倉庫の真上に位置していたので、冷気があがってきて、後頭部が凍てつくような寒さだった。
 しかし。
 今週末は、ベッドに埋もれてポカポカと温かい夜。
 なんでこんなにも違うのか?
 ベッドに感謝。
 と、いうわけで、久しぶりにぐっすりと寝た。

 ベッドの上で北國新聞を開いて、チェック。
 やはり、昨日の東日本大震災1周年記念行事特集。
 こうして新聞を読んでいると、インターネットでは伝わらない、ドラマを感じる。
 新聞ならでは。
 編集する記者の息遣いが聞こえてくる。
 行間を、読む。

 みぞれ交じりの7時20分、自宅出発。
 今日は、市内の支援企業へと、ごあいさつ回り。
 平成24年度予算審議の予算委員会は、今日から参議院に移った。
 なので、日ごろなかなか顔を出せていない企業あいさつ回り。
 月曜日の朝からあわただしく仕事の準備をして、外回りなどに出かけていく経営者や従業員の皆さん。
 そういう姿に接するたびに、
 「今は本当に解散総選挙の時期だろうか」
 「被災地の復興もまだなのに」
 「まずはデフレ脱却の経済対策だ」
 「地方経済にも光が差し込むように」
 「中小企業対策こそ、国政の課題だ」
 「金融支援をきめ細かく」
 などと思うと同時に、
 「やっぱり民主党政権に、経済対策を任せられない」
 「国家観のない民主党に外交や安保を任せておけない」とも、思えてくる。

 参議院では、予算委員会の基本的質疑。
 トップバッターの山本一太さんが、
 「話し合い解散などさせない。参議院では問責も視野に入れて野田内閣を追い込む!」と息巻いていたが、それもちょっとずれている感覚と、思わざるを得ない。
 まずは、議論の積み重ねこそが重要。
 話し合いの最初っからけんか腰では、まとまるものもまとまらない。

 10時過ぎからは、金沢市議会本会議を傍聴。
 自民党会派の高村よしのぶ会長が代表質問。
 山野市長からは、
 「防災と再生可能エネルギー。新幹線開業準備のための未来への投資。この二つが金沢市の新年度予算の骨格!」との力強い答弁あり。
 ただ、人事の苦手そうな山野市長には、参与と副市長問題が。
 自分の後援会長だったジェスク ホリウチの清水会長を「政策秘書」的な役割として、金沢市参与に抜擢するという新聞記事がすでに出ている。
 情報が出回るのが、ちょっと早すぎた。
 議会への根回しは大丈夫だったのか?
 同じことは、浅香教育長辞任〜後任はだれか?という人事にも表れた。
 さらには、森源二副市長を4月に総務省に返した後の後任人事はどうするのか?
 選挙では、民間人副市長を目玉にしていたじゃないか?
 そういう空気が、山野市長を取り巻いている。
 高村会長からは、参与の役割をただすとともに、中央省庁からの副市長が妥当との見解が示された。
 しかし、会派みらいからは、「側近政治」 「市長選挙のマニフェストだった民間人副市長の代わりの参与か?」と、手厳しい評価だった。
 こういうやり取りを見ていると、やっぱり山野市長は、百戦錬磨の議会側と意志を通じあってはいないな、と勘繰ってしまう。
 俺自身は、自民党が推薦した山野市長を全面的に応援している。
 でも、直接の戦場は市議会であり、国会議員がちゃべちゃべと口をはさめない。
 だからこそ、市議会や、金沢の経済界や、文化人や、学会などと、意を通じあってほしいと思う。

 山出前市長は、こういうことはなかった。
 たとえば、議会中であろうとなかろうと、しょっちゅう共産党以外のすべての会派の部屋に遊びに行って、
 「おい、うまいお菓子ないかいや!」
 「みなさんお元気ですか?」と、情報収集と意見交換に余念がなかった。
 そういう歩み寄りの謙虚な姿勢が、だれに対してもあった。
 ひるがえって、山野市長はまだ、気軽に自民党控室にすらも、コーヒーを飲みに、遊びに来たことがない、という。
 なるほど、そういうことだろうな、と感じる。
 意欲も能力もあっても、議会承認がなければ人事も予算も成立しないし、実行されない。
 首長は、議会との両輪。
 どちらも市民の代表なのだ。
 お互いの歩み寄りが大切なんだが、首長のほうからこそ、距離を縮める努力が必要だろう。
 それこそが、リーダーシップではないか?!
 短い傍聴ではあったが、そう感じた。
 がんばれ、山野市長!
 がんばれ、市議会!

 自民党控室にて、カツカレーのお昼ご飯。
 その後、湊工業団地内の企業訪問。
 とある社長さんと、放射能除染の技術審査問題で意見交換。

 13時半、市内へととんぼ返り。
 金沢エクセルホテル東急へ。
 金沢大学附属中学校の卒業生と保護者の謝恩会に、顔出し。
 特別ゲストとしてお祝いごあいさつ。
 本日午前中が卒業式だった、と。
 「ご卒業おめでとうございます。」
 保護者代表が、
 「みなさ〜ん、このおっきな人、知ってるかな?」と、マイクを握ると、
 「はせひろし〜〜〜〜!」と、男の子がこたえる。
 「ポスターで見てる。はせひろしや!」なわけね。
 いつも、中学生に呼び捨てにされるのだが、悪い気はしない。
 みんな、新聞やテレビを見ながら、政治に関心を持っているんだな、と率直に思う。
 バイキング方式での食事会。
 仲間との3年間を懐かしみ、同時に、高校進学の希望を語り合う中学3年生。
 公立高校受験発表はあさって。
 その結果を待っている卒業生も当然おり、不安な表情も。
 附属中学校とはいえ、全員が附属高校に進学するわけではない。
 公立高校へ、あるいは、私立高校へと、分散する。
 その微妙な心理的葛藤、複雑さも併せ持つ謝恩会。
 人生に別れはつきもの。
 センチメンタル謝恩会。
 そうはいいながら、こちらは、大人の一人として、激励ごあいさつ。
 「お勉強のできる人というのは、東日本大震災で何が起こったか理解できる人。頭のいい人というのは、じゃあ、これからどうしたらいいかを考えて実行できる人。その両面をみなさんに期待します!」と、激励。
 お母さん方へは、
 「毎朝、寝坊助を起こし、お弁当を作って学校に送り出して、9年間の義務教育を終えました。お疲れ様でした!」と、附属中学校ならではのお弁当教育、毎朝のご苦労をねぎらう。
 「附属高校の先輩には、南相馬市で被災者支援に取り組む村田副市長もいます。皆さんも、金沢のリーダーというより、石川県や日本国のリーダーをめざし、進学先の高校では視野を世界にひろく持って頑張ってください!」と、申し上げる。
 そのあとは、望まれるままに記念撮影や、保護者の皆さんと懇談。

 被災地の除染とがれき受け入れ問題には関心が高いようで、
 「金沢市に持ってきても大丈夫かね?」
 「除染技術にはどんながあるが?」
 「選挙しとる場合じゃないけど、もし選挙になったら応援しとるよ!」
 「日本の教育をしっかりしてね!」
 などと、ありがたいお声もかけていただく。
 また、競輪界の怪物スーパースター、小嶋敬二選手のご子息も卒業だそうで、奥様ともどもごあいさつ。
 中学3年生の卒業式直後、ね。
 そのまぶしさは、表現のしようがない。
 輝いていて、希望と意志力と生命力にあふれている。
 おれも35年前はこうだったのかな、と思うと、ちょっぴりうらやましい気分。
 ごあいさつ後、また市内に出て、企業ごあいさつ回り。

 16時過ぎ、小松空港へ。

 18時半、羽田空港に到着。
 自宅へ直行。
 妻が晩御飯を作っていた。
 鰤照り焼き。
 「砂糖と醤油でフライパンでできるのよ!こりゃ、簡単だけど、脂がのっているからおいしいわよ!」と、気合が入っている。

 20時半、おりんさんを迎えに行く。
 「パパとママは、二人とも、昔離婚してたって、誰かに聞いたんだって?」
 「そう!」
 「ショック?」
 「そういうこともあるんじゃない? インターネットに出てるし!」
 ・・・・・沈黙。
 そういうお年頃なのね、ハイ。
 「パパは3年だけど、ママは45日で離婚したんだよね!」
 「その通り。」
 「でも、パパとママは再婚してから19年、夫婦仲良くやってるじゃん。仲良くしてたから、おりんさんも産まれたんでしょ。人間、合う合わないはあるのさ!」
 ・・・・・・・・・・・・・・・沈黙。
 家に帰って、そういう沈黙などなかったように、鰤の照り焼きを平らげるのであった。
 満腹になったら、離婚してた話なんて、忘れちゃったよ。 


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