4時20分起床。
30年ぶりに自室にベッドを入れたのだが、とても快適。
星稜高校教員を辞し、プロレスラーになって以来、自室は物置部屋になっていた。
昨年末、一念発起、大掃除。
母の制止も聞かずに、あらゆる物を捨てまくった。
30年ぶりに、広々とした8畳部屋。
じゅうたんを敷いて、カーテンを付け替えて。
さて、どうしようかと考えたのは、「安心して寝られる部屋」だった。
じゃあ、ベッドしかないな!と、いう発想で、家具屋さん行って、大きめのベッドを買ってきた。
ベッドが設置されたのは3月6日。
今週末、初めてベッドに横たわった。
これがまた、あったかい。
今まで布団を敷いていた和室は、地下倉庫の真上に位置していたので、冷気があがってきて、後頭部が凍てつくような寒さだった。
しかし。
今週末は、ベッドに埋もれてポカポカと温かい夜。
なんでこんなにも違うのか?
ベッドに感謝。
と、いうわけで、久しぶりにぐっすりと寝た。
ベッドの上で北國新聞を開いて、チェック。
やはり、昨日の東日本大震災1周年記念行事特集。
こうして新聞を読んでいると、インターネットでは伝わらない、ドラマを感じる。
新聞ならでは。
編集する記者の息遣いが聞こえてくる。
行間を、読む。
みぞれ交じりの7時20分、自宅出発。
今日は、市内の支援企業へと、ごあいさつ回り。
平成24年度予算審議の予算委員会は、今日から参議院に移った。
なので、日ごろなかなか顔を出せていない企業あいさつ回り。
月曜日の朝からあわただしく仕事の準備をして、外回りなどに出かけていく経営者や従業員の皆さん。
そういう姿に接するたびに、
「今は本当に解散総選挙の時期だろうか」
「被災地の復興もまだなのに」
「まずはデフレ脱却の経済対策だ」
「地方経済にも光が差し込むように」
「中小企業対策こそ、国政の課題だ」
「金融支援をきめ細かく」
などと思うと同時に、
「やっぱり民主党政権に、経済対策を任せられない」
「国家観のない民主党に外交や安保を任せておけない」とも、思えてくる。
参議院では、予算委員会の基本的質疑。
トップバッターの山本一太さんが、
「話し合い解散などさせない。参議院では問責も視野に入れて野田内閣を追い込む!」と息巻いていたが、それもちょっとずれている感覚と、思わざるを得ない。
まずは、議論の積み重ねこそが重要。
話し合いの最初っからけんか腰では、まとまるものもまとまらない。
10時過ぎからは、金沢市議会本会議を傍聴。
自民党会派の高村よしのぶ会長が代表質問。
山野市長からは、
「防災と再生可能エネルギー。新幹線開業準備のための未来への投資。この二つが金沢市の新年度予算の骨格!」との力強い答弁あり。
ただ、人事の苦手そうな山野市長には、参与と副市長問題が。
自分の後援会長だったジェスク
ホリウチの清水会長を「政策秘書」的な役割として、金沢市参与に抜擢するという新聞記事がすでに出ている。
情報が出回るのが、ちょっと早すぎた。
議会への根回しは大丈夫だったのか?
同じことは、浅香教育長辞任〜後任はだれか?という人事にも表れた。
さらには、森源二副市長を4月に総務省に返した後の後任人事はどうするのか?
選挙では、民間人副市長を目玉にしていたじゃないか?
そういう空気が、山野市長を取り巻いている。
高村会長からは、参与の役割をただすとともに、中央省庁からの副市長が妥当との見解が示された。
しかし、会派みらいからは、「側近政治」 「市長選挙のマニフェストだった民間人副市長の代わりの参与か?」と、手厳しい評価だった。
こういうやり取りを見ていると、やっぱり山野市長は、百戦錬磨の議会側と意志を通じあってはいないな、と勘繰ってしまう。
俺自身は、自民党が推薦した山野市長を全面的に応援している。
でも、直接の戦場は市議会であり、国会議員がちゃべちゃべと口をはさめない。
だからこそ、市議会や、金沢の経済界や、文化人や、学会などと、意を通じあってほしいと思う。
山出前市長は、こういうことはなかった。
たとえば、議会中であろうとなかろうと、しょっちゅう共産党以外のすべての会派の部屋に遊びに行って、
「おい、うまいお菓子ないかいや!」
「みなさんお元気ですか?」と、情報収集と意見交換に余念がなかった。
そういう歩み寄りの謙虚な姿勢が、だれに対してもあった。
ひるがえって、山野市長はまだ、気軽に自民党控室にすらも、コーヒーを飲みに、遊びに来たことがない、という。
なるほど、そういうことだろうな、と感じる。
意欲も能力もあっても、議会承認がなければ人事も予算も成立しないし、実行されない。
首長は、議会との両輪。
どちらも市民の代表なのだ。
お互いの歩み寄りが大切なんだが、首長のほうからこそ、距離を縮める努力が必要だろう。
それこそが、リーダーシップではないか?!
短い傍聴ではあったが、そう感じた。
がんばれ、山野市長!
がんばれ、市議会!
自民党控室にて、カツカレーのお昼ご飯。
その後、湊工業団地内の企業訪問。
とある社長さんと、放射能除染の技術審査問題で意見交換。
13時半、市内へととんぼ返り。
金沢エクセルホテル東急へ。
金沢大学附属中学校の卒業生と保護者の謝恩会に、顔出し。
特別ゲストとしてお祝いごあいさつ。
本日午前中が卒業式だった、と。
「ご卒業おめでとうございます。」
保護者代表が、
「みなさ〜ん、このおっきな人、知ってるかな?」と、マイクを握ると、
「はせひろし〜〜〜〜!」と、男の子がこたえる。
「ポスターで見てる。はせひろしや!」なわけね。
いつも、中学生に呼び捨てにされるのだが、悪い気はしない。
みんな、新聞やテレビを見ながら、政治に関心を持っているんだな、と率直に思う。
バイキング方式での食事会。
仲間との3年間を懐かしみ、同時に、高校進学の希望を語り合う中学3年生。
公立高校受験発表はあさって。
その結果を待っている卒業生も当然おり、不安な表情も。
附属中学校とはいえ、全員が附属高校に進学するわけではない。
公立高校へ、あるいは、私立高校へと、分散する。
その微妙な心理的葛藤、複雑さも併せ持つ謝恩会。
人生に別れはつきもの。
センチメンタル謝恩会。
そうはいいながら、こちらは、大人の一人として、激励ごあいさつ。
「お勉強のできる人というのは、東日本大震災で何が起こったか理解できる人。頭のいい人というのは、じゃあ、これからどうしたらいいかを考えて実行できる人。その両面をみなさんに期待します!」と、激励。
お母さん方へは、
「毎朝、寝坊助を起こし、お弁当を作って学校に送り出して、9年間の義務教育を終えました。お疲れ様でした!」と、附属中学校ならではのお弁当教育、毎朝のご苦労をねぎらう。
「附属高校の先輩には、南相馬市で被災者支援に取り組む村田副市長もいます。皆さんも、金沢のリーダーというより、石川県や日本国のリーダーをめざし、進学先の高校では視野を世界にひろく持って頑張ってください!」と、申し上げる。
そのあとは、望まれるままに記念撮影や、保護者の皆さんと懇談。
被災地の除染とがれき受け入れ問題には関心が高いようで、
「金沢市に持ってきても大丈夫かね?」
「除染技術にはどんながあるが?」
「選挙しとる場合じゃないけど、もし選挙になったら応援しとるよ!」
「日本の教育をしっかりしてね!」
などと、ありがたいお声もかけていただく。
また、競輪界の怪物スーパースター、小嶋敬二選手のご子息も卒業だそうで、奥様ともどもごあいさつ。
中学3年生の卒業式直後、ね。
そのまぶしさは、表現のしようがない。
輝いていて、希望と意志力と生命力にあふれている。
おれも35年前はこうだったのかな、と思うと、ちょっぴりうらやましい気分。
ごあいさつ後、また市内に出て、企業ごあいさつ回り。
16時過ぎ、小松空港へ。
18時半、羽田空港に到着。
自宅へ直行。
妻が晩御飯を作っていた。
鰤照り焼き。
「砂糖と醤油でフライパンでできるのよ!こりゃ、簡単だけど、脂がのっているからおいしいわよ!」と、気合が入っている。
20時半、おりんさんを迎えに行く。
「パパとママは、二人とも、昔離婚してたって、誰かに聞いたんだって?」
「そう!」
「ショック?」
「そういうこともあるんじゃない? インターネットに出てるし!」
・・・・・沈黙。
そういうお年頃なのね、ハイ。
「パパは3年だけど、ママは45日で離婚したんだよね!」
「その通り。」
「でも、パパとママは再婚してから19年、夫婦仲良くやってるじゃん。仲良くしてたから、おりんさんも産まれたんでしょ。人間、合う合わないはあるのさ!」
・・・・・・・・・・・・・・・沈黙。
家に帰って、そういう沈黙などなかったように、鰤の照り焼きを平らげるのであった。
満腹になったら、離婚してた話なんて、忘れちゃったよ。