衆議院議員
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はせ 日記
平成24年
1月2日(月)

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■1月2日(月)

 4時54分起床、ニュースチェック。
 昨日から、一本の法律が本格的に施行された。
 「放射性廃棄物処理&除染特措法」だ。
 昨年、渾身のエネルギーを注いで議員立法として成立させた法律。
 しかし、本格的な施行に当たって、あのときの心配はまだ解消されてはいない。
 それは、放射性廃棄物の「仮置き場」「中間貯蔵施設」「最終処分場」の場所が確定されていないこと。
 これでは、宙ぶらりん。
 除染費用は1兆円を超え、担当する環境省はその責任の大きさに身構えているが、そんなこたぁ、福島県民には関係ない。
 「早く住めるようにしてくれ!」 「放射性廃棄物の最終処理は国の責任!」の一念。
 この法律を議員立法で処理すると決めた当初、俺と鴨下一郎代議士とで、
 「どう考えても、福島第1原発周辺3キロを国有化し、ここに最終処分場を作るしかないんじゃないか。」
 と、自民党内ではっきりと申し上げてきたが、そうならなかった。
 福島選出の国会議員の皆さんから、
 「福島県民の、ふるさとに戻りたい!という気持ちをないがしろにする!到底受け入れられない!」と、怒られた。
 しかし。
 今となってはどうか。
 モニタリングの数字を見ると、いまだ放射線量の高いこのエリアは、本当に除染が完全に済むというのか?
 一定期間は国が土地を借り切って、という言い方でもいいかもしれないし、国有化して、という方針もやむを得ないのではないか。
 それに、福島県の除染汚泥や放射性廃棄物を、福島県外に持っていけるのか?
 受け入れてくれる自治体があるか。
 無人島にでも運ぶというのか?
 このエリアに住んでいた人が、本当にここで住み続ける決断を出来るのか?(孫や子を、ここに戻せるのか)。
 そう考えることも必要ではないか。
 俺の考えは、無情だろうか・・・
 せっかく議員立法に関わった立場として、この法律の行く末について、これからも担当する環境省をフォローアップしたい。 

 午前6時前には自宅を出発し、電車を乗り継いで、およそ1時間15分で羽田空港へ。
 地元の駅〜渋谷駅〜山手線品川駅経由。
 電車内で、いつもの緑色のグラウンドコートを着ていたら、妙齢の女性に声をかけられる。
 「箱根駅伝の応援ですか?私も専修大学のOGです!」と、嬉しそうに。
 「いえ、今から仕事に向かうんですよ。今年はわが母校は、学連選抜で2名しか出ていないんですよね!」と、つい言葉も弾む、同窓生というだけで。
 「失礼ですが、学部はどちらですか?」と、お聞きすると、
 「私は経済学部です。主人は東洋大学なんですけどね!」と、笑顔でおっしゃるご婦人も、同窓生ということがわかって嬉しそうだ。
 午前6時過ぎというのに、山手線に乗り換えると、各大学のジャージを着た学生さんで一杯。
 皆さん、品川駅で降りていった。
 そっか、各自、応援スポットで母校のチームに、げきを飛ばすためなんだ。
 来年こそは、わが母校、専修大学も本大会に出場してほしい、と切に思うのであった。

 羽田空港を、午前7時50分発のJAL機で小松空港へ。
 機内でずっと読書していたら、小松上空でいきなり大音量の雷と火柱。
 さすがにビビって目が覚める。
 新春早々、「どうか飛行機落ちないでくださいな!」と神さまに祈り、一句できた。
 「初春や 雷落ちて 目が覚めた!」
 祈りが通じたか、無事に小松空港に到着。

 秘書の迎えを受け、金沢市内に入り、新春恒例のごあいさつ回りスタート。
 42軒。
 今年は雪もなく、順調に時間通りに回らせていただく。
 「もうちょっこ、ゆっくりしていけま!」
 と、引きとめていただくも、さすがに新春早々長居はできず、平身低頭、およそ5分から10分ほどでご挨拶。
 国政へのご注文をたくさんいただき、感謝。
 がんばらねば、と身も引き締まる。
 気持ちはすでに戦闘モード?
 一軒でも多く、一社でも多く、一人でも多くの有権者にお会いし、ご挨拶を申し上げ、お話を伺い、国政報告をし、自分の考えを伝えさせていただく。
 何よりも、有権者の声を肌で感じたいし、永田町の現実を伝えたい。
 そんな思い。

 午後8時半、本日のごあいさつ回り終了。
 運転してくれた秘書さんも、ありがとう。
 自宅に戻り、昨年末に新調した布団セットに入ると、もう眠くなった。
 爆睡! 


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