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はせ 日記
平成23年
11月30日(水)

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12月 1日


■11月30日(水)

 4時35分起床、ニュースチェック。
 11月最後の日。
 明日からは12月かぁ・・・

 防衛省、どうしちゃったんだ?
 「犯す前に犯しますよと言いますか?」
 環境影響評価書をいつ提出するかとのマスコミの質問に対する例えとして、これ以上不適切な表現はない。
 アウト!
 田中沖縄防衛局長、更迭。
 いくらオフレコ居酒屋とは言え、これは、官僚の品位。
 沖縄問題をどうとらえているかの人間としての本質の問題。
 マスコミ相手に、という以前に、こういう表現をすること自体が非常識。
 一川素人防衛大臣の緊張感のなさが、部下にまで飛び火している証左。
 がっかり。
 もうひとつ、がっかり。
 五輪2連覇、柔道の内柴選手、未成年の教え子への飲酒&セクハラ疑惑(事実?)で、大学指導者を懲戒解雇される。
 がっかり。
 トップアスリートのセカンドキャリアとして、大学の指導者になることは、名誉な地位。
 なのに。
 その名誉と採用してくれた大学側の温情を踏みにじる暴挙。
 合意の上?
 あほんだら!
 未成年に酒飲ませて、合意もへったくれもあるか!
 ましてや複数相手。
 おまえは、何のために柔道やってたんや!
 出家して頭丸めて反省しろ!
 そりゃ、俺だって、立派なオリンピック選手だったかとか、孔子のような教員だったかとか、誰からも尊敬されるプロレスラーだったかなどと問われれば、即座に否定する。
 でも、やっていいことと、悪いことと、その線引きくらいはできてた・・・つもり。
 朝から胸くそ悪いニュースばっかし・・・
 気分を変えて、熱いシャワーを浴びて、背広に着替えて国会へ。

 8時前に、衆議院正面玄関にいつものように車を停め、国対に入って執務。
 そして、8時過ぎには荷物を片づけて、歩いて国会議事堂前駅へ。
 今日は、文部科学委員会の視察。
 東京駅へと地下鉄で移動。
 すると、駅のエスカレーターで、民主党の田島要代議士とすれ違う。
 すれ違いざま、田島さんが叫ぶ!
 「馳さ〜〜ん、子どもの放射能健康影響調査法案、お願いしますね!」
 目で合図するのですぐに理解し、こちらも切り返す。
 「昨日、社民党の阿部知子さんと話したよ!」
 すかさず理解したのか、田島さんも折り返す。
 「ありがとうございますぅ!」
 さらに付け加えるはせ浩、エスカレーターのからだがねじれて180度。
 「昨日、うちの谷さん(復興特別委員会自民党理事)と、阿部さんとで打ち合わせしてるよ!」
 「ありがとうございますぅぅぅっぅ」
 と、360度回転して手を振る田島さんを乗せたエスカレーターは、遠くへ去っていくのであった。
 朝から、一つ、仕事を終えた気分?

 気分よろしく地下鉄に乗って、東京駅へ。
 東北新幹線やまびこ号に乗り換え、一路、福島駅へ。
 外は雨。
 冷たい。
 福島駅でバスに乗り換え、移動すること90分。
 お昼前に到着。

 南相馬市の、大甕(おおみか)小学校。
 青木教育長や学校側の説明をうかがったあとは、さっそく子どもたちの給食に参加させていただく。
 私は、民主党の高野委員、文部科学省の児玉室長とともに、4年生のクラスへ。
 担任の石田先生にご挨拶し、児童と一緒に手を合わせて、「いただきます!」。
 あれ?
 フランスパンだぞ?
 「石田先生、最近はフランスパンなの?」
 「・・・・さぁぁ、私もフランスパンは初めてですぅ・・・」
 なんだよ、文部科学省が来るから、奮発したのか?南相馬市。
 でも、そうではなくて、かみかみデーだった。
 最近、物を噛むことが苦手な子どもたちのために、イカを焼いたり、フランスパンを食べさせたりして、きちんと噛むことを健康のために指導しているのだ、とか。
 そうだよな、ハンバーグとか麺類とか、あんまし噛まなくても咀嚼できる料理が多いもんな、最近の食卓は。
 でもって、スライスチーズ、牛乳、ヨーグルト、ボルシチ風スープ。
 おお、4月に来た時に比べると、随分と給食も元に戻ったんだなぁ。
 でも、石田先生は、3児の母でもあり、主婦の目線でつぶやく。
 「福島県産の食材を子どもたちに与えていいものかどうか、悩みますよね・・・・」と。
 確かに、お母さんがたの心配は、石田先生のおっしゃる通りだろう。
 この大甕小学校は、非常時避難区域20キロのぎりぎりのところ。
 放射線量も低い。
 けれど、風評被害は、大人ばかりでなく、子どもたちの心に大きな影を落としている。
 「原発なくしてほしいけど、替わりに何か作って!」
 「思いっきり遊べる、大きな体育館作って!」と、国会議員に何を言いたいかと聞いたら、そう素直に応えていた。
 そうだ。
 学校の行き帰りだって、親が車で送迎のこの地域。
 地震、大津波、原発事故、そして最も苛立ちを覚えながら戦っているのが、風評被害。
 途中でお見えになった桜井市長も、
 「警戒区域、非常用避難区域、そして不通の地域と、南相馬市は3分割されている、いまだに3万人近くが避難している。国は正確な情報を、正しく伝えてほしい!」と、憤りとともに訴える。
 おっしゃる通り。

 給食後の意見交換で、金沢市出身の村田崇副市長に質問。
 「復興に向けて除染が一番です。その仮置き場は決まりましたか?」
 「・・・実はそれが一番の悩みの種です。人家がない、市有地、搬入道路があるなど7ポイントを条件として、今候補地を出しています。来週からの市議会に諮り、地元説明会もするつもりです!」と、心苦しそう。
 そりゃそうだ。
 誰が好き好んで、近隣に受け入れを了解するものか。
 でも、仮置き場の受け入れ場所がなければ、たまるばっかし。
 近隣の太田小学校が、大甕小学校に間借りしている。
 肩身の狭い思いをしているだろう。
 「3学期には、除染も済んで、元の学校に戻れます!」と、林校長は先行きのめどが立って、嬉しそう。
 そりゃ、そうだ。
 この8カ月、ジプシー暮らしだったんだから。
 もうひとつ、青木教育長に質問。
 「真野小学校など、津波被害に遭った小学校の建て替えは、現地では無理ですよね。高台移転や統廃合も含めてその計画は進んでいますか?」と、率直にうかがう。
 「まだ、現地説明会は1回しか済んでいません。どれだけの子どもたちが帰ってくるかわかりませんし、親の仕事もどうなるか・・・・」と、歯切れが悪い。
 本当にかわいそうだ。
 小学校の再建は、地域の再建そのもの。
 でも、津波堤防も流されて復旧していないままでは、どうやって地域を再建するかさえ手探りなのだ。
 インフラ整備も整わなきゃ、本当に、もとのコミュニティが復活できるかどうか雲をつかむ話し。
 まだまだ現地でしか、わからない悩み事は多い。
 本当の復興のために、これからも、継続した相談が必要。
 われわれも、国会議員として、何度でも、この地を訪問して、復興を見届けていかねばならない。
 あらためて、そう決意する。
 短い滞在だったが、福島県教育庁、南相馬市教育委員会のサポートもいただいて、実に有意義な視察となった。

 午後は、相馬農業高校を視察。
 「放射能除染について、調査、検証、分析、研究など、そういうカリキュラムも加えては如何ですか?この地に住んでいる子どもたちは、これからも放射能と付き合っていかなきゃいけないんですから、農業高校らしい授業を検討してください。文部科学省の有松審議官も、支援してくださいよ!」と、校長との懇談で、ちょっと強く訴える。
 相馬農業高校は、明治時代開校の歴史ある高校。
 しかし、現代では、偏差値輪切りの進学者を受け入れる、いわゆる、実業高校。
 実業高校ならではの、社会貢献できる役割があると、俺は思う。
 これから、校庭や、公有地や、公園や、民家や、あらゆる民有地が除染対象となり、そして、「健康影響評価」がなされる、はず。
 その研究・調査・分析のための施設や講座を開講し、人材育成することもも、被災地の教育機関としての役割ではなかろうか?
 これは、福島県教育長と、文部科学省に、宿題として申し上げた次第。

 ここで、視察はタイムアップ。
 またバスに揺られて90分。
 福島駅に戻り、午後4時54分発のやまびこ号で、東京駅に戻る。
 おりからの、氷雨。
 涙雨?
 相馬農業高校前庭の、目映い見事な紅葉が思い起こされる。
 今年一番の紅葉だった。

 午後6時28分、東京駅に到着し、散会。
 地下鉄で国会に戻り、国対に入り、執務。

 午後7時半過ぎ、自宅に戻り、福島駅でしこたま買い込んだお土産を、妻とおりんさんに渡す。
 喜多方ラーメンと、栗飯と、桃グラッセと、米沢牛燻牛肉と、かりんとう。
 お腹が空いたときにお土産を買うと、つい買いすぎちゃうな・・・
 でもいいや。
 これも被災地支援。
 大好物の桃グラッセとかりんとうを、ありがたくいただく。
 晩御飯は、軟骨と手羽先。
 そして、ヴォジョレーヌーヴォーと、家政婦のミタ。
 満腹。 


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