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はせ 日記
平成23年
10月18日(火)

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■10月18日(火)

 4時起床。
 ニュースチェック。
 午前7時40分には、ホテルをチェックアウト。
 昨日から参加している自民党の阿部俊子代議士を助手席に乗せて、俺は運転手役。
 午前8時40分、児童養護施設「島添の丘」到着。

 山あいの静かな環境。
 森田勲社会福祉法人豊友会理事長、玉城孝施設長、島袋朝久児童養護協会会長と懇談。
 ここに、暖かい家庭生活を追われた66名の2歳から18歳までの子ども達が集団生活をしている。
 一人一人の入所背景には、それぞれの事情がある。
 「でもね、今じゃ8割が被虐待児ですよ。ネグレクトが多くてね。普通の家庭生活で身につけることが何一つ身についていないんです・・・」
 朝起きてご飯を食べること、下着を毎日着替えること、お風呂に入る(シャワーを浴びる)こと、おはようございます、いただきます、ごちそうさま、ありがとうございます、ごめんなさい、おやすみなさい、褒められること、認められること・・・・・・
 そういう子どもたちに、「普通の生活」を指導する職員のご苦労が、いまさらながらよくわかる。
 沖縄県の養護相談は全国の2倍近く。
 「職員の配置基準(児童6−職員1)を見直してください。なんせ、24時間365日の仕事なんですから。職員は3交代制ですから、実質一人で18人を面倒見ざるを得ないんです!」と。
 また、こちらでも被虐待児が多く、処遇困難児の対応に困っているとか。
 「情緒障害児短期治療施設を沖縄県にも作ってください。治療もされていない子どもを預かる職員の大変さをご理解ください!」と。
 また、18歳を過ぎてからは支援の対象外となるのだが、その「自立支援施設設置と支援メニューメニュー」を充実してほしいと。
 運転免許証などの資格取得、自立支度金給付、家族再統合。
 「でも、子どもたちは、成人式にはやっぱりここに帰ってくるんですよね」と、施設長。
 そういう話を伺うと、
 「親は何やってんだ!親としての責任を放棄して、すべて税金で丸抱えはおかしい!」と、憤りを感じる。
 そうはいっても、現実的に、こうして養護施設で生活する子どもがいる以上は、税金で支援するのは必要なこと。
 疑似家族。
 でも、孤独にするよりも、家族の温かさや人との関係性を感じる中で育つほうがいいに決まっている。
 こういう子どもたちの成長を支援し、将来のタックスペイヤーとして自立させることが、最低限の福祉政策。
 同時に、「親支援プログラム」「親指導プログラム」の実施も必要だ。

 終了後、沖縄県庁記者クラブに移動。
 午前11時より、記者会見。
 今回の視察で得られた実態調査の成果を、どのように政策に生かしていくのかが次の課題。
 近日中に超党派勉強会で取りまとめ、「沖縄独自の問題」「全国的な問題」に切り分けて、政策提言することを約束する。

 午後4時、浦添工業高校へ。
 レスリング部視察。
 屋比久保監督は、国士舘大学出身。
 グレコローマン84キロ級で、学生時代はしのぎを削った仲間。
 合宿でもよく一緒にスパーリングをした。
 馬力のある、気の優しい男だった。
 今では、故郷に戻り、浦添工業高校の体育教師、生徒指導部長、レスリング部監督、ジュニアレスリングチーム指導と、八面六臂の活躍をしている。
 さっそく島村校長と懇談し、沖縄県の教育事情を教えていただく。
 そして、午後4時半から6時まで、練習視察。
 84キロ級の与那覇選手ばかりでなく、120キロ級の宮国選手、55キロ級の大城選手、74キロ級の屋比久選手と、みな素晴らしい。
 監督に、
 「ちょっと、みんな素晴らしいですね。体力もあるし、アタック力もあるし、フェイントもできるし、瞬発力もある。みんな連れて帰りたいですよ。ぜひ、専修大学にも選手を送ってください!」
 とお願いし、次は、来年の新潟選抜大会での再会を約束する。
 子どもたちそれぞれの将来の就職希望や、希望大学などをリサーチ。
 ほとんどがまだ固まっていないそうなので、専修大学への進学をお願いする。
 私はレスリング協会の副会長でもあり、日体大の理事でもあり、強豪選手は将来の就職ばかりでなく五輪選手としての強化も念頭にある。
 従って、専修大学に進学してもしなくても、将来の日本を代表する選手として育成する責任がある。
 こういう純粋な高校生が、さらに成長するサポートを出来るように頑張らねばならないと、肝に銘じて浦添工業高校を後にする。

 レンタカーを返し、午後7時40分のJTA機で羽田空港に向けて出発。
 充実した三日間であった。
 自宅に戻ると、おりんさんが、2PMのDVDを見ながらパパを待っていた。 


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