衆議院議員
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はせ 日記
平成23年
10月5日(水)

10月4日
10月6日


■10月5日(水)

 4時起床、ニュースチェック。
 ・ 朝霞公務員宿舎凍結。
 野田総理英断?それとも迷走?
 105億円、復興財源にまわるの?
 中止じゃないの?
 凍結とは、また中途半端。
 そもそも、公務員や国会議員に宿舎なんているのかね?
 「住居手当」「交通手当て」で十分。
 国会議員も公務員も身を斬れ。
 衆議院は定数80削減。
 比例を80削り、小選挙区300&全国比例100の並立立候補とし、比例だけでの単独立候補は辞めるべき。
 そうすりゃ、ドント方式で、小政党にも議席配分できよう。

 仙台市内を午前7時20分出発。
 海沿いの三陸道を北上。
 午前9時、石巻市役所仮庁舎へ。
 もとは駅前百貨店。
 6階の教育委員会へ。
 6月にお会いした時は、まだ石巻中学校の校長先生だった境直彦教育長に面会。
 視察でお会いするのは3度目。
 斎藤まさみ元宮城県議も同席いただき、意見交換。
 二人は剣道部の先輩後輩とか。
 以下、現地の状況をうかがいながら、要望とご意見をいただく。
 ・・・第3次補正と、来年度予算に反映せねば。

 「石巻市は、小中の64校中、14校で移転が必要です。とても地方自治体の財源では足りません。満額支援をお願いします!」
 「高台移転再建では、用地確保のための補助金もぜひお願いします!」
 「今後のことを考えて、防災型の学校(備蓄倉庫、ヘリポート、高層など)を、お願いします!」
 「小中高の併設や、統廃合や、複合型施設や、地域事情に応じた施設整備を、お願いします!」
 「文部科学省は、1校1校の事情に応じて協議をするとのことなので、期待しています!」
 「仮設校舎へのスクールバス代は、被災した14校分で、平成23年度だけで3億2千万円かかります!来年もそんくらい必要です。息の長い支援をお願いします!」
 「学校再建の、時間的な猶予をお願いしたい。地元に残る住民数が決まらないと、児童生徒数も決まらず、学校統廃合も計算できない!その上で校区見直し=学校統廃合の具体策が決まります」
 「海岸沿いは、市長は二重堤防を考えています。頑丈な防災都市にしてください!」
 「市民運動公園グラウンドは、自衛隊が砂利を敷いて使用して行ったままです。原状回復できていません。砂利の撤去費用とグランド再整備費用を見てください!」
 「県や市の指定文化財修復費用を何とか見てもらえませんか?国指定史跡は国庫補助満額出るのですが、県や市の指定文化財まで自治体では厳しい予算で面倒見切れません!」
 「こういう災害はまたいつ起こるかわかりません。地方自治体はぜい弱な財務体質で、破綻寸前です。そうならないように、今後のために、災害復興基金構想を作り、国のいざという時の財源とすべきではないでしょうか!」
 「心のケアや、専科で体育や理科を教える級外の教員を加配定数枠で確保してください!教員の多忙化対策をお願いします!」
 「2学期に入って、子どもたちのPTSDやパニック障害は深刻です。息の長い、継続的な人的支援をお願いします!」
 「実は2学期に入って、先生方のストレス性うつ病や精神疾患が増えています。頑張りすぎの燃え尽き症候群です。」
 「小中学生では対応が違いますが、震災と津波の記録を残しておきたいと思います。 先生から、震災を題材に何か書きなさいとか絵にしなさいとかは言えません。でも、子どもたちと対話をする中で、子どもたちからごく自然に3.11の話を持ち出すことがあります。それはそれで、子ども達の意思を大切にしたいと思います。時間をかけて、子どもたちが自主的に残す、あの記録を残しておきたいと思います!」
 ・・・石巻中学校の校長先生だったころとは、また違ったリーダーシップを発揮して、義務教育や生涯教育の再建・条件整備に全力を尽くす境教育長。
 まだ予算確保や再建構想に道半ばではあるが、きっと、市民の期待に応えてくださるだろう。
 そう確信させる使命感をお持ちの先生だ。
 握手をして再会を期す。
 車は、一路女川町へ。
 ずいぶんとがれきは処理されているが、入り組んだ湾の奥のその周辺は、まだ手つかず。
 津波で被災したビルも、市場もそのまんま。
 本当に、復興が遅い。 

 午前11時には、女川町の仮設庁舎到着。
 2階の一室に、遠藤教育長を訪問。
 こちらは5月の連休以来、2回目の訪問。
 お話をうかがう。
 「児童生徒のうち、就学援助者が、7割を超えています。親の失業や離職が原因です。この深刻な問題を解決しないと、子どもたちが将来女川に残ってくれるかどうか、心配です!」
 「学校の再建は、イコール、生活再建なんです!」
 「平地はまだがれきの山なので、高台仮設校舎が必要です。ただ、児童生徒数をカウントしたいのですが、女川の外に出た避難民が、元に戻ってくれるかどうか・・・・」
 「あれから半年が過ぎて、子どもたちの学力低下、体力低下が問題です。」
 「学童保育や放課後子ども教室は、10月半ばから再開できます。」
 「心のケアが必要でして、スクールカウンセラーや加配教員は、県から手厚くいただいています。」
 「こないだの台風の影響で、高台の学校のグラウンドの仮設住宅の地盤に亀裂が入っています。」
 「校舎再建は、やっぱり高台の用地確保が問題です。校庭は無理です。」
 「受験対策として、中高生に女川尚学館(夜間学習塾)を無償で実施しています。200人が通っています。女川第1小学校の6教室を開放しています。ただ、スクールバス代が、月180万円=年間2000万円かかりまして、文部科学省か経済産業省の支援を受けられないでしょうか?」
 「おかげさまで共同給食調理場が、ユニセフの支援で復旧しました。8月22日から完全給食です!」
 などなど、厳しい現実とともに、半年経って、未来に向けての期待をもお話しいただく。

 帰り際、庁舎前で、避難所担当の生涯学習課の平塚参事から、お話をうかがう。
 やはり、生活支援=雇用対策が急務と。
 親の仕事がなければ、子どもたちも住み続けられない、と。
 車の中でおにぎりを食べながら、牡鹿半島へとハンドルを切る。
 牡鹿半島は、他の地域以上に復旧復興が手つかず。
 今は、廃校となったが、牡鹿半島の旧大原中学校は、安住財務大臣の母校。
 かつては3校あった半島の中学校は、今は統合されて、牡鹿中学校だけ。

 午後1時半、牡鹿中学校到着。
 前回、6月にやってきたとき、避難所での勉強用の電気スタンドを届けた御縁。
 高橋校長と、大場教頭が出迎えてくださる。
 あれから3カ月。
 「9月に3カ月遅れで修学旅行で東京に行ったんですよ。で、全国からご支援をいただいた感謝の気持ちを伝えたくて、子どもたちの発案でよさこいソーランを踊ったんですよ!」
 「え!!それ、もしかして、代々木公園じゃないですか?」
 「そうです、代々木公園の野外ステージです!」
 「そのニュース、NHKテレビで観ましたよ!あれ、牡鹿中学校の3年生だったんですか!!」
 「そうなんです。一生懸命踊りました。子どもたちが自主的に企画したんです、何か恩返ししたいって。何事かと集まってきた大人たちも、感動して泣いてました。生徒たちも、本当に喜んでいて、想い出になりました!」と。
 「牡鹿も、仕事がなくて大変です。就学援助者は7割を超えています。水産加工業を軸に、故郷を再興してほしいです!」
 と、先生方も、子どもたちが卒業した後のことが心配。
 「だから、子どもたちの視点で町づくりをしてください。仕事場も、遊ぶところも、必要です。ここで住み続けられるようにしてください!」と。
 「ここの子どもたちは真剣で純粋なんです。人の話を一生懸命聞くんです。ここに残って生活できるようにしてやりたいんです!」
 牡鹿半島を出て都会で頑張っている安住財務大臣にも、この声を伝えてあげたい。
 子どもたちにとっても、安住大臣は誇りなのだそうだ。

 午後2時半、感謝を申し上げて、出発。
 半島沿いの道を運転していると、あちこちでがけ崩れの跡。
 台風と余震の傷跡。
 石巻市に入り、前回はまだ通行止めだった、市街地に入る。
 市街地が燃える発火点となった、門脇小学校の焼け焦げた校舎を拝見。
 津波で家が校庭に押し寄せ、避難していた車が校舎にぶつかり、ガソリンに発火して、次々と燃え上がったとか。
 想像するに地獄絵図。
 商店街を通り、日和山公園へ。
 展望台へ。
 ここはもう、4回目か。
 ここから、何もなくなった市街地を一望するたびに、
 「こんな俺でも、何かをしなければならない。何かをさせていただかねばならない。」
 と、思わされる。

 午後5時半、東松島市教育委員会へ。
 木村民男教育長と懇談。
 「ここは、小中14校中、6校が水没しました。うち、3校が使いものになりません。」
 「校区再編〜移転建て替えは必至。文部科学省との個別相談で結論を出します。」
 「市内の児童生徒は、およそ4000人中175人が外に出ていますが、14コースのスクールバスで学校に通ってきています。ルートは毎月見直しています。」
 「海苔や牡蠣の水産業、水産加工業が地場産業です。皇室にも献上しているのですよ。そのほかに、コメどころでもあり、野菜の畑もありましたが、塩害でやられました。農林水産業に従事しているのは雇用の10%ですが、でも、基幹産業ですから。石巻市の水産加工業に働きに行っている人も含めれば、今後の雇用対策は、市が生き残るための死活問題です。なんとか、市民が働いて自立できるように基盤整備してください!」
 その他、加配教諭の確保や受験対策など、やはり石巻市と同様な問題を抱え、対策に邁進していると。
 石巻市の境教育長とは剣道仲間であり、木村民男先生自身が、宮城県剣道連盟理事長の要職。
 教士7段。
 日本剣道連盟の理事も務める多忙ぶり。
 「こういう震災があったからこそ、ふるさと教育に邁進したい。母校や生まれた地域を誇りに思ってほしい!」と。

 再会を約束し、本日の視察終了、午後6時半。
 仙台に戻り、資料整理。 


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