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はせ 日記
平成23年
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■9月12日(月)

 さわやかな秋晴れ。
 しかし、おりんさんの咳は止まらない。
 まだ起き上がれない。
 かわいそうに・・・
 妻がつきっきりで、一生懸命看病している。
 パパは、静かに国会へ向かうばかり。
 役に立たない夫だ。 

 午前8時過ぎ、国対に入り、菅議運筆頭理事と懇談。
 「菅さんは、復興増税反対論者ですか?」
 「反対!」
 「良かった、私も大反対です。」
 「馳さんといっしょ。」
 「日銀引き受け枠の活用と、郵政株放出と、埋蔵金と、国有資産売却で十分まかなえる!と、思いませんか?!」
 「そのとーり! 郵政株を放出しないのは、民主党が反対しているから。いま出ている政府提出法案は、政府が郵政株を保有する内容。国有化逆戻り法案。あれは改正し、郵政株を売却すればいいんだ!」
 「どうして自民党幹部は、そういう重大問題を明確に発信できないんですかね。民主党が反対しているから郵政株売却できないんだ!って言うべき。民主党は国民新党に配慮し過ぎて政策をゆがめている!こういう時こそ、自民党から提案して、法案修正して、売却できるようにすればいいんだ!」
 と、熱く語り合う。
 今朝も街頭演説してきたという菅さん、いつも以上に熱い。
 「国対にいなけりゃ、週3回は街頭演説できるんだけどなぁ・・・・」とも。

 こういう良識派が、政調会長になって自民党を裁いてほしいものだ。
 今の自民党幹部は、9.11テロを歴史の必然と暴言してみたり、民主党幹部に同調したり、ピントがずれているとしか言いようがない。
 国政課題は何なのか、という大所高所の俯瞰的思考が必要ではないか。
 常に国際社会から見た日本の役割を意識し、国家国民の平和を守る保守政治の常道を歩むべきだと思う。

 お昼に国対正副会議。
 いまだに民主党は臨時国会会期4日間で梃子でも動かない。
 どうして論戦から逃げるのか?
 明日の本会議で、採決で会期幅を決めるというので、せっかくだから、「俺に反対討論させてください!」と、佐藤勉代理にお願いする。 

 午後1時より、科学技術イノベーション特別委員会理事会。
 シビアアクシデントマニュアル資料提出問題で、1時間半も議論。
 50行中48行が黒塗りの過酷事故手順書(シビアアクシデントマニュアル)を、もったいぶって出してくる東京電力。
 チェック役の保安院は何やってるんだ!
 「知的財産保護と、核物質防護のためです!」
 と、言い訳しているが、これだけ大量の放射性物質を環境中に放出していながら、笑止千万。
 核物質防護できなかったから、国会で検証しようとしているのに、なんなんだこの隠ぺい体質は!
 「国有化したり、訴訟になったら出せるんですか?」
 と、呆れて追及しても、
 「知的財産保護と、核物質防護のために・・・・」
 と壊れたレコーダー。
 あまりの隠蔽体質に、結局「法律に従っての資料請求」を、理事会として決定。
 こりゃ、ほんまに東京電力の原発部門は国有化すべきだな。

 長い理事会を終え、徒労感一杯に午後4時、国対に戻ってきたら、朗報。
 佐藤勉代理から、
 「馳さん、明日の反対討論をやってよ!」
 と、指令が出る。
 「やった、じゃあ、30分ぐらい演説していいですか?」
 「そりゃ困る。5分以内ね!」
 ・・・・ちぇっ、言いたいことは山ほどあるのに。
 でもいいや、反対討論者をやらせてくれるなら。
 と、いうことで、30分ほどで、ちょちょいと反対討論を書き上げる。
 5分以内だから、字数でいえば、1500〜1800字。
 こんくらい、お手のもんだ。
 せっかくだから、いつもの一句入れようかな?
 「民主党  どじょうが出てきて どこへ行く」
 道しるべは、3党合意だよ、野田総理! 

 夕方、いったん自宅に戻り、ジョギング1時間。
 水シャワーを浴びて、たまプラーザの焼肉「壱語屋」へ。
 専修大学レスリング部の木村コーチ、1年生4名を連れて、懇親会。
 家庭の事情で、残念ながら、山内君が今日で退学。
 明日合宿所を退寮し、新幹線で帰郷。
 その送別会。
 「人生いろいろあるよ。またどこかで会えるから、北九州に帰ってもがんばれよ!」
 と、白いポロシャツをプレゼントして、激励。
 肩と、ひじと、膝と、怪我の絶えなかった山内君。
 本当は、もっと頑張りたかった。
 でも、家庭の事情により、やむを得ず、レスリングを辞めて、実家に戻り、仕事を始める。
 かわいそうだが、この屈辱と無念を受け止めなければならないことも、現実。
 「俺の同級生も、家庭の事情で半年で実家に戻って、八百屋をやってるやつがいるよ。いろいろあるわな・・・」
 と慰める。
 まぁ、そうはいうものの、最後の晩餐。
 腹いっぱい焼肉を食べて、この半年を振り返る。
 最後に、握手をして別れる。

 自宅に戻ると、やっぱりおりんさんは寝ていた。
 まだ起き上がれないのであった。 


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