3時37分起床。
朝起き会、羽咋支部へ。
能登海浜道路を北上。
金沢からものの20分。
近くなったもんだ。
さわやかに朝のご挨拶をし、着席。
昨日・今日の一句
7.30 夏の空 宇多須神社に オペラ歌手(直江先生)
7.31 夏の朝 昭和の時代 羽咋支部(礼節)
金沢に戻り、ニュースチェック。
午前9時半、市政懇談会。
山野市長と、金沢市幹部の皆様。
市議県議も、勢ぞろい。
金沢市からの予算要望や、重要施策について報告をいただき、その上で質疑応答をさせていただく。
・ 戸板会館 移転建設の引き継ぎ事項の確認
・ 新設の小立野小学校や戸板小学校には、放課後児童クラブ施設がデザインされているのか?
・ 市内小学校の統廃合にどう取り組む(山出市長が明言したのは、朝日・大野・俵・材木・新竪町・馬場・野町)
・ 民主党政権は一括交付金制度を、市町村にまで広げようとしているが、大丈夫か?
・ 中学校の教科書採択締め切りは、8月31日。浅香教育長の歴史観は? 教育基本法を遵守してほしい。
・ 再生可能エネルギー普及推進は、国家戦略。金沢市の取り組みは?
など申し入れをしたり、市長の見解を求めたりする。
小立野小学校では、地元から学童保育施設の要望がなかったとの答弁だったが、地元の福田市議から、
「それは地元と認識が違う。確かに要望があったのだが、それを取り次いだ某市議が、積極的に動かなかったからだ。」
との指摘あり。
もちろん、某市議は自民党籍ではない。
どうも、陳情した保護者に近い市議の様子。
いずれにしても、現在3か所も民間運営されている、小立野地区の放課後児童クラブ。
せっかく建て替えされる小学校敷地内に設置すれば、保護者も助かるのに。
「新しい施設が学校内に設置されたら、他のクラブとは金銭的な負担の差が出てしまうから、遠慮したとか・・・・」
との声も出てきた。
なるほど、そういう考えもあるか。
でも、みんな横並び主義でいいのだろうか?
1円でも保護者の負担が少なくなり、一人でも多くの児童が利用できる環境整備のほうが、意義があると思うのだが。
また、戸板小学校が移転新築されるにあたり、戸板第2土地区画整理組合の地元調整担当者と、山出市長・佐古田助役時代の「合意事項」だったのが、戸板会館の同時移転問題。
土地集積の取りまとめを山出市長が地元大物に懇願し、実現したので、地元要望を聞いてあげようということで出てきた問題が、戸板会館の移転。
だが、これも、他の公民館への支援との「横並びや前例」が壁となり、一時は暗礁に乗り上げていた問題。
ご地元の沢飯市議が丁寧に丁寧に調整を進めてこられた。
調整のおかげで、なんとか検討課題に浮上してきた。
それにしても、前の市長や助役が地元に約束したことを、後に引き継がないのは大問題。
行政との信頼関係を失う。
「まずはどういう内容かを確認して、地元に入って対処します!」
と、山野市長。
さすがに行動派だ。
終了後、北陸新幹線整備促進石川県民会議へ。
今回初めて関西経済界を代表して、来賓がお見えになる。
県民会議であり、国会議員は、与野党呉越同舟。
2年前に政権交代→民主党政権となり、財源も新規着工問題も思考停止し、ストップしているのがこの「政治新幹線問題」だ。
財源なんて、見つけるのが政治家の決断。
それこそ政治主導。
自民党は、岡田直樹さんを軸にして、「鉄道運輸機構」の剰余金を発見し、新規建設財源とすべく、議員立法まで参議院に提出した。
なのに、民主党政権はそれを事業仕分けで国庫返納させ、年金財源の国庫負担分としようとした。
さらにあろうことか、第1次補正予算で、この剰余金→年金財源を、復興財源に流用してしまったのが事の真相。
さすがに我々自民党も、復興財源と言われれば、賛成せざるを得ない。
行き当たりばったりの民主党政権の財政運営に、怒り心頭となったものだ。
地元北陸新幹線は、つながってこそナンボ。
金沢以西へ新規着工に向けての足取りは止まったまま。
敦賀までの工事一括認可に向けて、あまりにも策のない民主党政権。
それどころか、難癖?つけて新規着工5条件(財源・経済効果・投資対効果・JR合意・地元合意)というハードルを突き付ける始末。
とんでもない政党だ。
そんな経緯でこの2年間は、新規着工もできない状態。
にもかかわらず、のこのこ県民大会に出てきて、
「与野党協力して早期整備を!」
「国会議員が団結して、新規着工を勝ち取りましょう!」
と、来賓挨拶で民主党国会議員にきれいごとを言われても、何を信じていいのやら。
地元できれいごとばっかり言わないで、永田町で説得力を持って政権政党の責任を果たしてくださいよ!と、力説したい。
・・・そう憤っていたら、野党自民党を代表して森喜朗代議士が、来賓あいさつに立ち、これまでの経緯と、今後の戦略をわかりやすく説明。
まるで、後ろで聞いている民主党議員に教え諭すような演説。
北陸新幹線整備の、この40年にわたる経緯を説明し、これからは関西経済団体との連携が必要であり、滋賀県や京都府との話し合いや、関西空港への乗り入れまでの構想をも説明される。
そのために、大阪府の橋本知事との調整まで進めていることを披露。
会場あふれんばかりの参加者も、「ふむふむそうだったのか、そうすべきなのか!」
と、うなずいている。
ところが、この森先生の30分を超える演説にしびれを切らしたのが、民主党石川県連代表の一川さん。
「長い!」
と、野次ったものだから、会場内は異様な空気に。
すかさず自民党県議団が、
「おまえらがやらんから教えてやっとるがや。黙って聞けま!」
と、言い返す。
憤懣やるかたない一川さん。
奥田さんや田中さんや沓掛さんなどは、決まりが悪いのか下を向いている。
もちろん、負けずに森先生も一川さんに歩み寄って一色即発。
「君たちがやらないから教えてやってるんだ。俺の演説が長いと思うのは、君たちの情熱が足りないからだ!」
と、言い返して、一川さんもそれ以上反論しなかった。
まぁ、一川さんも森先生も、大人げないっちゃああ、そうかもしれないが、でも、ここが「政治新幹線」のポイント。
財源も、JRや国土交通省との関係もすべて複雑に絡み合う寄木細工。
長い経緯の途中には、国鉄民営化もあった。
JRは民間会社になって、巨額の建設費負担に消極的になったのは事実。
それを、政治的に調整し、国土交通省や財務省やJRを説得し、小さな針の穴に糸を通すようにして、ここまで進めてきたのが森喜朗。
その緊張感の連続を思えば、そして永田町の自民党内の抗争を潜り抜けてきた我々からすれば、一川さんと森先生のバトルなど、幕間の寸劇にすぎない。
民主党の諸君は、財務省や国土交通省の言うがままになっていて、事態を打開できていないではないか。
「元建設省の沓掛さんや、元運輸省の寺前加賀市長ならば、どこに財源があるかわかってるでしょ! 少しくらい民主党に知恵を授けてあげなさい!」
とまで万座の席で言われたら、そりゃ一川さんも面白くなかろうが、事実は事実。
メンツをつぶされて怒るだけでは、また軋轢が生まれるだけ。
「一つ、知恵を教えてください!」と、宴席設けて森先生を接待して、一献傾け合うほうがよっぽど生産的だ、と俺は思う。
そしたら森先生も、
「俺もいいすぎたな、悪かった!」
と、言うだろう(おそらく)。
さて、その余韻もさめやらぬ午後1時半から、席を産業展示館から地場産に移して、県政懇談会。
ここでも情熱込めて語る森先生。
「俺の遺言だと思って聞いてくれ!」
と、旧県庁舎の「しいのき迎賓館」をやり玉に挙げて、中心市街地整備に一言。
さらに、中国と台湾の両国関係に配慮が足りないとばかりに、谷本知事に外交指南。
また、並行在来線問題については、
「どうして我々国会議員を使わないのだ!」
と、ばかりに、またしても北陸新幹線整備に向けての勘所をレクチャー。
とりわけ、台湾の総統府との距離の取り方については、
「台湾のかたがたのメンツをつぶしてはならない!」
と、ばかりに、今後の外交日程まで持ち出してレクチャー。
さらにさらに、
「航空自衛隊小松基地の周辺住民の気持ちになって空港活性化を語るべきだ。現状はそうなっていない。もっと小松市民を大事に扱うべきだ!あの騒音の中でいっぺん生活してみなさい!」
と、これまた長い長い小松基地闘争の経緯やエピソードを披歴。
今日一日は、森喜朗デー。
とてもとても勉強になった。
講演料を10万円くらい払いたいくらいだが、もちろん無料。
すべて隣で、なまなましく拝聴。
感謝。
そして、聴きっぱなしではいけない。
県連会長の岡田さんや北村さんとともに、我々後輩が、未来の石川県のためにも、今日のこの森構想を、必ずや次の時代につなぎ、実現させなければならない。
でも、公衆の面前で、一川さんを攻撃するのだけは見習わないようにしよう。
まぁ、野次った一川さんも一川さんだけどね。
午後3時半、石川県医師会 総会記念式典出席し、ご挨拶。
大震災後、福島県の相馬市でボランティア活動されていた医療支援チームの活動に、敬意を表し、感謝。
午後4時から、第83代金沢市議会議長の、上田章議長就任祝賀会 出席。
豪放磊落、剛毅木訥、誠実一路。
そんな上田先生、議長就任おめでとうございます。
そしていつも控え目で信(芯)の強い奥様のえい子様に、祝福の嵐。
お開きまで、最後までテーブルを回り、馴染みの皆様と懇親。
午後7時終了。
3時間もかかっちゃったよ。
すばらしい祝賀会だった。
ホテル金沢から、本日届いたばかりの馳事務所の車、スズキのエブリに乗って空港へ。
午後7時50分のANA機で小松空港から上京。
羽田空港から、京急とJRと地下鉄を乗り継いで自宅に戻る。
日曜日の夜の地下鉄は、暑くて湿っぽかった。
とりわけ、品川駅や渋谷駅の乗り換えでは、いろんな世代のいろんな立場の疲れた人が、だるそうに歩いていた。
駅からとぼとぼ歩いて、自宅に帰る。
自宅の玄関のかぎを開けると、おりんさんが嬉しそうに立って待っていた。
「お腹すいた!」
「ママは?」
「寝ちゃった!」
と、いうわけで、育ち盛りのおりんさんは、晩御飯を食べたのに、午後10時には、もうお腹がすくのであった。
つけ麺ラーメンと、桃3個、そしてママの作り置きのがんもどきをレンジでチンして、夜食の出来あがり。
夏休みの話を聴きながら(ほとんど遊びの話ばっかり)親子で楽しい夜食なのであった。
ママはいつも通り、タンバリンを抱えて床で寝ていたのであった。
・・・からだ痛くないのかね??