4時起床、ニュースチェック。
ここは、仙台市内のホテルの部屋。
35階。
眼下には、広瀬川と東北大学キャンパス。
隣には、西川進一コーチが大口開けて寝ている。
昨日は、よっぽど疲れたのだろう。
そりゃそうだ。
朝5時には金沢を出て、一睡もせず仙台入りし、休む間もなく石巻市内小中学校や女川町を視察、救援物資を運び込んだのだから。
人一倍感受性の強い西川さんには、あの惨状は、刺激が強すぎたようだし。
でも、一人でも多くの日本人に、あの惨状を伝えるべきであり、西川さんもその語り部になってほしい。
ニュースチェック後、窓の外を眺めていた西川さんが、
「散歩行こうか?」
と、言うので、
「よし、行こう!」
と、中野秘書と今日が誕生日の荒井秘書を叩き起こしてレッツゴー(死語)。
仙台の街は良くわからないが、地図を見ると碁盤目状。
なんとかなるだろう、というこれこそ感性に任せて、というよりも、広瀬川の水の匂いを頼りに、街中を歩く。
およそ20分で、狙い通り、広瀬川に出る。
川沿いを歩くと、東北大学にも突き当たる。
すると、すぐ近くに、今朝行くはずだった宮城県立工業高校を見つける。
不思議なもんだ。
適当に歩いていたら、まさしく目指していた方角へと辿りついていたのだから。
宮城県立工業高校の場所を確認し、歩いてまたホテルに戻ったら、ちょうど1時間。
ホテル着は、午前5時40分。
まだ5時40分? もう5時40分?
もちろん、まだ5時40分?の感覚。
早起きは、三文の徳。
そして、散歩のおかげで、身体の調子もいいのであった。
部屋に戻り、新聞を読み、昨日のスケジュールを記録し直し、テレビを見ていたら、もう午前8時半。
シャワーを浴びて着替え、ホテル出発。
途中、コンビニで差し入れのスポーツドリンクを購入し、ミニ合宿中の宮城県立工業高校へ。
秋田商業高校レスリング部の選手諸君ばかりでなく、山形商業高校の芦野先生以下、選手諸君も汗を流していた。
選手全員に檄を飛ばす。
秋商の横山先生にもご挨拶。
「部員は、どんだけいるの?」
「20名ほどです!」
・・・・羨ましい。
これも、ジュニアからの強化と、顧問の先生の努力あればこそ。
こういう姿を見ると、星稜高校の新人教諭、矢後先生にも頑張ってほしい!
午前10時半には、予定通り、宮城県立工業高校を出発。
ちょうど、山岸さんがお土産を持ってお見送りに来てくださる。
人の付き合いこそ財産。
今回の視察では、アポ取りから道案内まで、何から何まで秘書以上にお世話になった山岸さん。
深謝。
必ず、また応援に入ります。
仙台東部道路を通り、山元町へ。
自動車道の左側は、まだ津波の跡が残ったまま。
この自動車道のおかげで、山側に浸水しなくてよかった。
高速道路の役割の一面を見た思い。
山元町で自動車道を下りてからは、6号線。
山元町〜新地町〜相馬市へと。
相馬市で右折し、山道を福島市へと向かう。
遅咲きの山桜。
この山桜も、福島第1原発の放射線に汚染されているのだろうか?
峠の茶屋で、ソフトクリ―ム。
元気を取り直して、東北道へ。
安達太良サービスエリアで、金沢チームと別れ、一路東京へ。
東京に着いたのは、午後8時20分。
全走行距離は、3日間で、1700キロ。
東京〜金沢〜仙台〜東京。
また行かねば!