4時18分起床、ニュースチェック。
東京電力の対応が後手後手になっていて、福島原発が不安をあおっている。
随時、放射線量を発表し、一刻も早い現状報告、情報開示をすべきだ。
22時31分頃に静岡を震源地とする地震が。
東京も激しく揺れる。
東北大地震との連鎖反応か?
人命救出、被災者支援、被災地復旧。
原発事故対策と同時並行ではあるが、政府として責任ある対応を進めなければならない。
だからこそ、防災特命担当大臣を置くべきだ。
松本大臣は、環境相との兼務。
これでは、専念できない。
そして、原発事故対専念担当相も必要!
何よりも、「緊急非常事態宣言」を、総理が出すべきだろう。
いろんな行政権限は、縦割りだ。
人命を救出し、被災地を守るためにも、まさしく国家権力のもとで非常事態に迅速に備えるという宣言が必要だ。
ガソリンも重油も足りない。
ないのではなく、届かないのだ。
物資も、ないのではなく、輸送手段が限られているのと、どこで必要としているのかの情報がつながらないのだ。
だからこそ、自衛隊や警察や消防の行政無線をふんだんに活用し、県域を越えた強制措置が必要だ。
菅総理、一刻も早く国家非常事態宣言を!
午前8時より、外交国防合同部会。
在日米軍駐留経費負担特別協定法案の審議。
基本的には、自民党は賛成なのだ。
しかし、民主党が野党時代に執拗に、この法案に反対していた。
その当事者が、現在の北沢防衛相。
当時は、
「単年度予算にしろ!」
「地位協定交渉をしろ!」
「減額しろ!」
と、いう理由で激しく反対していた。
ところが、政府与党になった途端、
・ 年度毎と言っておきながら5年計画!
・ アメリカとの地位協定交渉は、一度もやってない!
・ 思いやり予算という呼び名はやめて、ホストネーションサポートと命名
と、 180度の姿勢転換。
これでは、当時の法案担当をしていた山本一太参議院議員はじめ、自民党議員は憤懣やるかたない。
「せめて政務3役が来て説明すべき。」
「法案説明の背景に、”わが国を取り巻く安全保障環境は厳しさを増している”とあるが、ふざけるな! ここに、”民主党政権の最低でも県外発言のせいで”との一文を入れろ!」
との厳しい意見が飛び交う。
また、
「米軍基地のグアム移転が実現すると、今後は自衛隊と米軍がグアムで共同訓練を行うことが増える。 その際には、自衛隊の隊員がアメリカ国内で活動するわけで、そうなると、自衛隊員の地位保全のための双務性の地位協定が必要ではないのか?」
との指摘も出される。
また、
「どうしてホストネーションサポートと呼び名を変えるのだ?」
との指摘には、木寺昌人外務省官房長は、
「金丸先生の時代に命名された”思いやり予算”は、シンパシティック バジェット(同情的予算)と英訳されていました。 米軍駐留は、日米安保・日米同盟による国土防衛の任務・役割をになっての駐留なので、同情的ではなく、ホストネーションサポートと呼ぶことにした!」
と、トボケたことを言うので、
「そもそも思いやり予算をホストネーションサポートと英訳しとくべきだったじゃないか!」
と、つまらないやり取りまでしなければならなかった。
ふんとに、もう。
午前9時10分より、国対正副。
・ 自民党や公明党の申し入れにより、震災対策各党合同協議会が、本日より開催されるようになった。
・ 震災対策では、各自ばらばらに政府に申し入れをするのではなく、自民党各部会を通じての意思疎通を図るように。
・ 国対副委員長は、各委員会の担当理事と意見交換をしておくように。
・ 「統一地方選挙延期法案」は、岩手・宮城・福島の被災地を対象に、具体的にどこの自治体とするかは、政令で総務大臣が定めることになった。
・ 総務委員会の「地方交付税法」 「NHK予算」 「地方税法」は、つなぎ法案も含めてどのように処理をするかは現場で詰めてほしい。
・ 財務金融委員会の「金融モラトリアム延長法」「関税定率法」「IMF出資法」と、「公債特例法」「所得税法」は、つなぎ法案も含めてどのように処理をするのか現場で詰めてほしい。
・ 政府与党に配慮し、今週中は災害対策と原発事故対策に専念してもらう。
・ 災害対策特別委員会の「地震防災対策特措法(国庫補助負担の補助率かさ上げ5年延長法=議員立法)は速やかに処理をする。
以上、確認をする。
逢沢国対委員長より、
「政府与党は、今般の国難に対して経験がなく、右往左往している。 現場の理事会の動かし方など、過去の経緯を参考にして、われわれ自民党がバックアップをして委員会運営を進めてほしい!」
と檄が飛ぶ。
まさしく。
与野党の壁を越えて、緊急危機管理対策をしなければならない。
午前11時半、予算委員会野党理事 懇談会。
午後は、塩崎恭久、西村やすとしの両代議士と、打ち合わせ。
「平成の集団疎開計画〜被災者受け入れ一元化コーディネート〜」について、素案を意見交換。
30万とも40万とも50万とも言われる被災者。
避難所生活も1カ月が限度だ。
全国の受け入れ態勢をオプションで準備し、被災者に選択してもらえるように、コーディネートしてくれる人・企業・機関・自治体・団体も含めて情報を一元化しようではないか、との政策。
里親制度にしても、親族里親に生活資金を支給できないかとか、PTA協議会を通じて転入する親を亡くした子どもたちの生活支援を出来ないかとか、公営住宅無償提供の自治体情報一元化をしようとか、農業法人を通じて「仕事(農業)と生活(田舎の空き家)」の一括移住を提供しようとか、期間限定のホストファミリーを募ろうとか・・・・
素案をまとめて、明日にでもまとめることにする。
夜は、町村信孝会長、西村やすとしさん、木村太郎さんと食事をしながら、震災対策の情報交換。
午後7時半、合唱の練習の終わったおりんさんを迎えに行き、自宅に戻る。
今日も一日、無事に仕事が終わって、家族がそろうことのありがたさをしみじみと感じる。
今この瞬間も、避難場所で寒さと不安に震える国民が、何十万人もいらっしゃるのだ。
まだ情報が把握できなくて、取り残されて、餓死寸前の被災者もいるはずだ。
限界集落の多い東北地域であり、震災からもう5日目。
生死の境。
なんとか情報をつなげて救出しなければならないし、支援物資を届けなければならない。