4時32分起床。
ぐっすりと寝た。
5月1日、メーデー。
地元の河北新報を読んでから、ホテル出発。
仙台東部道路を南下し、山元町へ。
山元町からは、国道6号線を南下。
左側の海岸沿い視察。
昨日と同じく、やはりほとんど復旧すらしていない。
もちろん、田んぼも荒れ放題。
気が重くなる。
なんとかしなければ、との思いはすべての国民が持っているが、何とかならない事情が現地にはある。
復興庁との回線不通なのだろうか。
7時50分、福島県南相馬市の財団法人 金森和心会
「雲雀ケ丘病院」到着。
森まさ子参議院議員と合流。
自民党の福島再興委員会のメンバーとして、聞き取り調査。
8時から、病院2階の小部屋で、ミーティング開始。
参加者は、
・ 雲雀ケ丘病院の、金森圭子事務局長
・ 大町病院の、鈴木好喜事務長
・ 渡辺病院の、佐藤良彦事務長
テーマは、「南相馬市の民間病院存続」であり、具体的には、「医療スタッフの不足に関する要望」だ。
まずは、金森事務局長にお話を伺う。
「医療スタッフが不足しており、地域の復旧復興の足かせとなっている!」と。
「どうしたらいいですか?」とお聞きすると、
「医師・看護師・薬剤師・検査技師・OT・PT・医療事務など、医療スタッフを派遣するシステムを作り、長期にわたってスタッフ確保をお願いしたい。そのスタッフの居住する住居の確保(仮設住宅)も必要!」と。
「行政は公立病院ばかり支援している。でも、地域医療の機能分化で、民間病院も役割を果たしている!救急医療などはこの地域は、民間病院が担っているのに、支援がなければ、この6月にでも倒産してしまう!」と、危機感は強い。
どうも、二重ローン対策の問題とも絡むようだ。
「一民間病院への支援が難しいのであれば、時限的に国有化してほしい。厚生労働省が政治判断をしてほしい!」と、切羽詰っている。
スタッフを確保するための医療法の法令基準緩和をも求めている。
・ 診療報酬の施設基準の専従要件を、当面の間、専任要件としてほしい。
・ 基本診療料(入院料)の要件緩和も(管理栄養士の常勤要件緩和や、夜勤体制緩和)。
・ 精神科における施設基準緩和も(スタッフの人員に応じた入院基本料の算定を)
・ 賠償金に対する課税免除を。
などなど、聞けば聞くほど、厚生労働省の対応は冷たいことがよくわかる。
大町病院の鈴木事務長からは、
「政府が大々的にスタッフ募集しても、数名しか応募がなかったし、実際にマッチングできなかった。ところが、我々がやむに已まれずにツイッターで窮状を訴えて公募したら、看護師が補充できた。なんか、ちぐはぐじゃないですか、政府のやることは!」と。
また、医療スタッフの宿舎確保、施設基準緩和、賠償金課税免除など、
「政府が動かないならば、議員立法ででもやってほしい。私たちは、存続のための投資にも賠償金を使いたいのに、今のままじゃ使えない!」とも。
渡辺病院の佐藤さんからも同様の訴えあり。
このご意見をとりまとめ、なんとしても、政府に申し入れしたいし、議員立法の準備も進めたい。
およそ50分の短い時間ではあったが、有意義な意見交換となった。
感謝。
すぐに、車で南相馬市役所へ移動。
連休の中日でもあるのか、1階受付窓口は市民でごった返していた。
3階の市長応接室で、桜井市長、村田副市長、そして青木教育長と懇談。
「やってほしいことは山ほどありますが、まずは、海岸の復旧、防潮林、交通インフラ。特に、常磐道再開は、何としても急いでほしい。物流の大動脈ですから。今のままじゃ、迂回していわき市へ行くのに3時間もかかります。常磐道なら10数分ですっといけるのに!」と桜井市長。
「ところで桜井市長、南相馬市は、ほかの市町村に比べて異常に市職員の退職者が多いですね。累積で130人を超えています。補充は大丈夫ですか?」と、少々きつい質問をすると、
「職員自体が被災しているし、子どもを抱えているものですから・・・・」と、歯切れが悪い。
議会ともうまく行っていない桜井市長。
反原発の旗を揚げてマスコミ登場で有名にはなったが、足元の市民や職員からは厳しい目にさらされているようだ。
「とくに、専門職が足りないことが足かせになっておりますから、県や国から応援してもらっています」と。
仮設商店街の開設日にあたるので、わずか15分の面談ではあったが、もっとも印象的だったのは、小学校の統合問題。
「地域の事情があるので、こちらからは統合を言い出せない!」と、市長は明言された。
あれ?と思った。
もちろん、住民協議会などを通じて、保護者や教職員や教育委員会や地域住民の意見を反映させるのが小学区の統合問題。
でも、選択肢を示すのは行政の長の責任ではないか?
かつて、金沢市の山出保市長は、マスコミの前で公然と、具体的な小学校名を挙げて、あおれも七校もあげて、統合の必要性とシナリオを開陳された。
その場にいた市議もマスコミも教育長も、かたずをのんで山出市長の哲学を聞いていた。
「今後六年間、就学前の子供の数を見ると、入学する児童の数がだいたい分かってくる。五人や六人の新一年生や、さらに二〜三人の一年生しか来ないので、教育をどうするかの議論をせざるを得ない。学校とはまずは子供たちの教育の場であり、クラス替えもなく、競争もなく、たくさんの友達との人間関係も築けない学校でいいのか。地域エゴの問題でもめてはいけない!」と。
南相馬市も、ご多分にもれず、沿岸部の学校では、統合問題がくすぶっている。
地域の方々は絶対反対だ。
そんなときに、市長が黙ったままでいていいのだろうか?
波紋を起こして、市民や議会の声に耳を傾けるオープンな議論の土俵が必要なのではないか?
桜井市長が立ち去った後、青木教育長も、村田副市長も、小学校の統合問題は、タブーであり、なかなか議論を発展させずらい問題だとの認識であった。
市長の英断が必要ではなかろうか。
震災や放射能被害は、一自治体ではいかんともしがたいから、政府が復興の青写真を書くのは当然。
でも、地域をどうするかという課題は、最終的には首長判断。
小学校は南相馬市が設置責任があるのだから。
とりわけ、放射能汚染の警戒区域から解除された小高地区。
ここが当面の課題。
さっそく村田副市長にお願いして、村田さん運転の緊急車両で、視察。
ある地点から(いわゆる20キロ圏内)中に入ると、初夏の陽射しとは全く正反対の、静寂に包まれた商店街。
商店街や家は、一見するとそのままなのだが、よく見ると、荒れ放題。
家畜が侵入したり、空き巣?が入ったりで、荒らされているのが一目瞭然。
さらに、人っ子一人、いない。
ときたま、片付けのために人影が見えるのみ。
この町一帯で、1万数千人の人口が地区外へ流出、避難中。
警戒区域は解除されたが、どうやってインフラ整備をして戻ってもらうのか。
その青写真こそが、政府の応援あってこそ。
「湖に行きますか?」
と、おっしゃる村田さんの車が向かったのは、湖らしき水面地帯。
「ここはもともと田んぼです。津波で排水機場が壊れて、津波の水が入ったままなんです!」と。
そういわれると、かつての田園風景の名残を示すように、農機具があちこちに浮かんでは消えている。
農家も、津波で壁がぶち破られたまま。
その穴ぼこの向こうに太平洋が見える。
ここで生活をしていた方々のことを思うと、悲しくて胸が痛くなるが、これが1年経過しての現実。
解散総選挙などしている場合ではない。
与野党協力して、一秒でも早く、生活再建の下支えをしなければならない。
賠償基準を具体的に示し、当座の現金を支給することも必要だし、将来の自立の道を示すことも必要。
村田副市長の敏腕に期待したい。
11時で小高地区視察を終了し、一路、石巻市へ。
13時より、石巻市の境教育長訪問。
南相馬市と同様に、日本ドッジボール協会からの「ドッジボール」の差し入れをし、懇談。
こちらでも、小学校の統合問題が課題であると。
昨年6月、石巻中学校の校長から急転直下教育長に人事異動された境教育長。
もう一年を超えるお付き合いをいただいてるが、本当に、誠実で決断力のある教育長だ。
今後とも、連絡を取り合いながら、引き続きご指導をいただくことを確認。
14時、市内を一望できる日和山公園へ。
桜の花見も先週でピークを過ぎたのだろうか。
でも、多くの観光客が、眼下に望む荒れ果てた市街地をみて、腕組みをしていた。
この光景に説明はいらない。
次の時代を見据えて、いかにしてこの自然と向き合いながら生活を営んでいくのか、だ。
15時、大川小学校の慰霊碑にお参りし、視察終了。
一路、金沢へ。
途中、磐越道の磐梯山SAで一服。
枯れ木越しの夕闇が、今回の視察のすべてを物語っているようだった。
22時半、自宅到着。
おなかがすいたので、「末っ子」で晩御飯。
山田ひろし、出村さん、森下さん、向さん、まちこ、ちひろ、たみ、星野君、大平さん、大場さん、永田さん、平木さん、川村くん、氷見さん。
狭い店だけど、みんながそろったので、被災地報告をしながら、晩御飯。
お土産の喜多方ラーメンを大平さんに作ってもらって、これまたお土産の福島名産イカ人参を食べて、満腹。
帰って寝たのは午前様。
バタンキュー(死語)。