衆議院議員
はせ 浩 ホームページ

はせ 日記
平成24年
4月30日(月)

4月29日
5月 1日


■4月30日(月)

 1時47分起床。
 被災地視察。
 自宅を車で出発したのが、午前2時45分。
 北陸道を北上し、山形県へ。
 途中、米山インターで小休止。
 朝ご飯は、かきあげそばと、鯖サンドイッチ。
 鯖サンドイッチねぇ。
 名物だっていうから食べたけど、・・・・本当に、美味しかった。
 小学校の給食に出したら、ウケるメニューだと思うんだけど!

 山形に入って高速を出て、国道を右折し、山道を走る。
 肌寒い。
 途中「道の駅」でおトイレ休憩。
 このあたりは、桜が今満開。
 そのおとなりは、横根スキー場。
 残雪。
 冬と春の同居。
 気を取り直して、山形スポーツセンターへ。
 9時到着。
 山形商業高校の芦野先生と面談。
 ちょうど、東北地区ちびっこレスリング大会。
 東北6県や北海道からも選手が参加する大盛況。
 専修大学レスリング部時代の、一つ下の武田くんが、わざわざ会いに来てくれていた。
 「馳先輩が来るのに、挨拶しなきゃ、だめでしょう!」だなんて、うれしいことを言ってくれるじゃないか。
 「今年のインカレが大阪であるから、そんときに、同期で集まる予定なんですよ。馳先輩も来てくださいよ!」と。
 武田の同期といえば、高橋、志村、一色、岩崎、高野、坂出、そして武田。
 懐かしいメンバーだ。
 楽しみ。

 用事を済ませ、再出発。
 そのまま山形道から東北道、そして、仙台東部自動車道に入り、さらに三陸道を北上。
 気仙沼に到着したのは、お昼の12時45分。
 復興の状況視察。
 残念ながら、がれきが片付き始めて、こざっぱりしただけ。
 港周辺は、地盤沈下したまま。
 津波で崩壊した建物は、いくつもいくつも、放置されたまま。
 あれから一年。
 街づくり再興だなんて、掛け声倒れ。
 行政支援の、何が足りないのか?
 第三次補正予算までで、復興予算はついているはずのなのに。
 あちこちまわって、地元の声を集める。
 そして、地元の小野寺五典代議士にお勧めをいただいていた、プレハブ二階建ての復興商店街へ。

 「あさひ鮨がおいしいよ!」と、すすめられたので行ってみると、行列。
 こりゃ、すごい。
 しかし、せっかちな馳浩は、行列に並ぶことはあまり好きではなく、そのお隣の「特急寿司」へ。
 何が特急なのだろうかと思っていたが、メニューを注文してから出てくるまで、25分もかかっており、
 (にぎり並み3人前頼んだだけなのに、25分もかかるだなんて、何が特急なんだ!)
 と心の中で突っ込みを入れたのであった。
 よくみたら、カウンターには東北新幹線の「特急」列車の模型が置いてあったのであった・・・・・。
 気を取り直して、45号線を南下。
 南三陸の惨状も、去年とは全く変わらず。
 こちらも、復興商店街がぽつんと、がれきを撤去した空き地に立っているだけ。
 いったい、新しい街並みができるのは、いつのことなのか。
 山間の仮設住宅には、静寂があるのみ。
 その静寂の中に、怒りと悲しみが詰まっている。
 夕方、仙台に入り、長い一日を終了。

 2時45分に金沢を出発し、17時に到着。
 全行程、700キロ。
 腰がつかれた。
 そう思うと、夜行バスの運転手の過労が身につまされる。
 関越道で事故を起こした夜行バス。
 運転手の健康管理、そして、運行バス会社の安全管理は、どうなっていたのか。
 犠牲者に哀悼の誠をささげるとともに、安全なはずの高速路線バスに重大事故が起こったことに、怒りを禁じえない。
 もしかして、過当競争、規制緩和のひずみゆがみが出た事故、いや、事件ではなかったか? 


4月29日
5月 1日
戻る
先頭メニューへ