1時47分起床。
被災地視察。
自宅を車で出発したのが、午前2時45分。
北陸道を北上し、山形県へ。
途中、米山インターで小休止。
朝ご飯は、かきあげそばと、鯖サンドイッチ。
鯖サンドイッチねぇ。
名物だっていうから食べたけど、・・・・本当に、美味しかった。
小学校の給食に出したら、ウケるメニューだと思うんだけど!
山形に入って高速を出て、国道を右折し、山道を走る。
肌寒い。
途中「道の駅」でおトイレ休憩。
このあたりは、桜が今満開。
そのおとなりは、横根スキー場。
残雪。
冬と春の同居。
気を取り直して、山形スポーツセンターへ。
9時到着。
山形商業高校の芦野先生と面談。
ちょうど、東北地区ちびっこレスリング大会。
東北6県や北海道からも選手が参加する大盛況。
専修大学レスリング部時代の、一つ下の武田くんが、わざわざ会いに来てくれていた。
「馳先輩が来るのに、挨拶しなきゃ、だめでしょう!」だなんて、うれしいことを言ってくれるじゃないか。
「今年のインカレが大阪であるから、そんときに、同期で集まる予定なんですよ。馳先輩も来てくださいよ!」と。
武田の同期といえば、高橋、志村、一色、岩崎、高野、坂出、そして武田。
懐かしいメンバーだ。
楽しみ。
用事を済ませ、再出発。
そのまま山形道から東北道、そして、仙台東部自動車道に入り、さらに三陸道を北上。
気仙沼に到着したのは、お昼の12時45分。
復興の状況視察。
残念ながら、がれきが片付き始めて、こざっぱりしただけ。
港周辺は、地盤沈下したまま。
津波で崩壊した建物は、いくつもいくつも、放置されたまま。
あれから一年。
街づくり再興だなんて、掛け声倒れ。
行政支援の、何が足りないのか?
第三次補正予算までで、復興予算はついているはずのなのに。
あちこちまわって、地元の声を集める。
そして、地元の小野寺五典代議士にお勧めをいただいていた、プレハブ二階建ての復興商店街へ。
「あさひ鮨がおいしいよ!」と、すすめられたので行ってみると、行列。
こりゃ、すごい。
しかし、せっかちな馳浩は、行列に並ぶことはあまり好きではなく、そのお隣の「特急寿司」へ。
何が特急なのだろうかと思っていたが、メニューを注文してから出てくるまで、25分もかかっており、
(にぎり並み3人前頼んだだけなのに、25分もかかるだなんて、何が特急なんだ!)
と心の中で突っ込みを入れたのであった。
よくみたら、カウンターには東北新幹線の「特急」列車の模型が置いてあったのであった・・・・・。
気を取り直して、45号線を南下。
南三陸の惨状も、去年とは全く変わらず。
こちらも、復興商店街がぽつんと、がれきを撤去した空き地に立っているだけ。
いったい、新しい街並みができるのは、いつのことなのか。
山間の仮設住宅には、静寂があるのみ。
その静寂の中に、怒りと悲しみが詰まっている。
夕方、仙台に入り、長い一日を終了。
2時45分に金沢を出発し、17時に到着。
全行程、700キロ。
腰がつかれた。
そう思うと、夜行バスの運転手の過労が身につまされる。
関越道で事故を起こした夜行バス。
運転手の健康管理、そして、運行バス会社の安全管理は、どうなっていたのか。
犠牲者に哀悼の誠をささげるとともに、安全なはずの高速路線バスに重大事故が起こったことに、怒りを禁じえない。
もしかして、過当競争、規制緩和のひずみゆがみが出た事故、いや、事件ではなかったか?