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はせ 日記
平成24年
4月28日(土)

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■4月28日(土)

 4時28分起床。
 シャワーを浴びて、ジョギングスタイルに着替え、ウォーキングへ。
 中学生のころに毎日走った通学路を、歩く。
 途中、よく道草して買い食いした談笑屋や、ハローワーク金沢や、県立武道館を通過。
 母校鳴和中学校を横目にみながら、およそ45分で、元町児童公園に到着。
 森山ジョギングクラブ・歩こう会、参加。
 小阪栄進市議のお世話をされている歩こう会。
 およそ40名ほどの参加。
 気持ちいい、さわやかな朝。
 軽く体操をしてから、周回ジョギングチームと歩こう会の二手に分かれる。
 迷わず歩こう会へ。
 こうして、みなと一緒にただ歩く、というだけ。
 旗を持ってガイドさんよろしく、道案内と、名所旧跡案内をしてくださる小阪先生。
 さすが、元小学校の先生。
 とてもわかりやすく、へぇ!と、うなずく情報ばかり。
 元町のあたりは元農家が多い。
 ここはぶどう畑が多く、中学生時代は、東署4階の剣道道場から眺める一帯は畑が続いていた。
 豊かな農家が多かった。
 その農家はいまだに残っていて、伝統的建造物群として登録文化財の呼び声も高い。
 森山北交差点を渡り、高岡金箔工芸店から馬場を抜け、小橋へ。
 小橋を渡り、浅野川沿いの左の小道に入ると、主計町。
 旧町名復活のトップバッターだった主計町。
 山出保前市長の置き土産が、この旧町名復活運動。
 金沢城の旧お濠あとで一服し、浅野川大橋へ。
 ここで立ち止まって、古い建立碑の説明を始める小阪先生。

 乃木大将と辻占売り少年の物語。
 今越清三朗少年の物語だ。
 もともと、この主計町の裕福な家庭に生まれた清三朗少年。
 ところが6歳のころに父が病気で急逝し、母もそのうち行方知れず。
 祖母と4歳の弟、2歳の妹と残された清三朗少年は、昼は魚、夜は辻占を売りながら生計を支えた。
 そんな明治24年3月のこと。
 辻占と棒飴を売る清三朗少年を見止めたのが、当時名古屋第5旅団長として金沢入りした乃木希典。
 今年は、乃木大将の没後100年にあたる。
 清三朗少年の不遇を聞いた乃木大将は、
 「今の心がけを忘れずに、お国のために立派に成長してくれよ!」
 といって、2円(現在の貨幣価値では6〜7万円)を紙包みに入れて差し出した。
 この励ましの言葉にこたえ、清三朗少年はさらに努力し、家計を支え、のちに滋賀県で金箔職人として大成し、滋賀県無形文化財に指定された。
 この実話は、のちに人情美談として、講談や浪曲の演目となって流行したという顛末。
 滋賀県には清三朗少年の銅像まで建立されているそうだが、残念ながら、故郷の金沢には、記念石碑が浅野川大橋詰めの目立たないところにぽつんと立っていて、説明書きすらない。
 こういう現代だからこそ、今越清三朗の銅像くらい建てて、記念碑として一角を残しておくことくらいしてもいいのではないだろうか、そう思う。
 小阪先生も、
 「家族を支え、波乱万丈の人生を生き抜き、人様から受けた恩義を公のために尽くすことで返すという美談は、戦後日本において、美徳とはされなくなったのだろうか。それが戦後教育だとすれば、残念だ。本来ならば、そういう生き方こそ、子どもたちの模範となってもよいのに」と話されていた。
 同感。

 金沢には、まだまだ隠れた名士がいるんだな、と、胸が熱くなった。
 世のため人のため。
 素直にそう考えて、行動して、どうして評価されないのだろう。
 一度、東京赤坂の旧乃木邸に建てられている「乃木大将と辻占売りの少年の像」を見てきたい。
 参加者と、あれこれ世間話をしながら、浅野川大橋を渡り、火の見やぐらの説明にまたしてもフムフムとうなずく。
 馬場小学校の前の道を通り、7時終了、流れ解散。
 帰りも歩いて。
 ところが、神宮寺バス停あたりで、近所に住んでいるM秘書が気を利かせて車で迎えにやってくる。
 感謝。

 自宅に戻り、およそ2時間の朝のウォーキング(散策?)の汗を流し、背広に着替えて、金沢事務所へ。
 8時から、金沢事務所ミーティング。
 ゴールデンウィーク中の金沢と東京の事務所日程を確認し、5月と6月の行事も確認。
 とりわけ、連休明けには、消費税特別委員会が控えている。
 「解散含みの政局の中心が、この特別委員会。毎週月曜日の早朝から金曜日の午後6時までは、びったりと私も張り付きになります。スケジュール管理をお願いしますね!」と、気を引き締める。
 地元情報をそれぞれが発表して確認したり、ポスターの張替えや、収支報告や、はせ通信配布状況なども確認。
 こういう情報の共有こそが、地元事務所の大切な仕事。

 9時、お客様来訪。
 懇談。

 9時半、金沢駅前広岡交差点にて、全国一斉自民党青年局街頭演説。
 本日は、サンフランシスコ講和条約発効の日。
 主権回復の記念日。
 自民党は、祝日法改正案を提案しているし、おりしも、昨日は憲法改正案を世に問うた。
 天皇陛下を国家元首に、自衛隊を国防軍に、集団的自衛権行使を、緊急事態対処項目を、などなど。
 マイクを握る、高岩市議、不破県議、下澤市議、高市議。
 それぞれに熱く訴える。

 11時、志賀町武道館到着。
 石川県高校レスリング春季大会観戦。
 星稜高校レスリング部が10年ぶり以上に復活。
 また、志賀高校、金沢西高校、北陵高校の生徒たちの活躍に声援を送る。
 俺も35年前は、こうして、素人ながら、レスリングに打ち込み始めた時期。
 新1年生は、構えもスタンスもタックルも、とても様になってはいないが、でも、必死。
 こういう気持ちを、いついつまでも持ち続けていてほしい、そう思う。
 お昼まで熱心に観戦し、レスリング関係者とも情報交換。

 13時45分、金沢にとんぼ返りし、MRO到着。
 星稜高校の乙村先輩が、わざわざ玄関で出迎えてくださる。
 ラジオ番組生出演。
 3階のラジオスタジオ控室に入ると、あれ?懐かしい顔が!
 マドンナ上坂典子アナウンサーさんが、出前の鍋焼きうどんを食べてるぞ?
 「何してるの?」
 「番組が終わって、打ち合わせしながらお食事してるの!」と。
 そっか、自分の番組を持ってるんだ。
 凄いなぁ。
 打ち合わせもそこそこに、14時、生放送に生出演。
 「あの人なら、今」と、いう番組。
 番組の趣旨をよくわからないままに、恋愛話で盛り上がる。
 これでいいの?

 14時半、柿木畠の「グリル中村屋」でお昼ご飯。
 あんかけ豚カツ定食。
 これがまた、抜群においしいんだ。
 片町のおでん屋「三幸」のお母さんと同席し、常連の紐野県議の話題で盛り上がる。 

 腹ごしらえをしてから、竪町通りの銀河の会の企業へごあいさつ回り。
 終了後、街頭演説。
 香林坊交差点〜六枚町交差点〜金沢駅南口交差点〜高柳交差点。
 本日のテーマは、
 @ 4月28日を主権回復の日として、国民の祝日にしよう!
 A 自主憲法制定を!
 B 消費税特別委員会の進め方!
 C デフレ脱却へ!
 D 東日本大震災被災地の復興最優先!
 E 解散総選挙を急ぐよりも、解決実践の国政を!
 などなど。
 途中、母校の先輩の杉原さんが、高柳の交差点でわざわざ車を停車して激励に駆けつけてくださる。
 感謝。

17時、同級生の美容室「チャーミー」にて整髪。
 パーマをかけなおす。
 およそ1時間半。
 寝不足だったので、しばし仮眠。
 毒舌チャーミーの指示に従い、できあがり。
 さっぱりした。

 19時、石川県スポーツセンター2階会議室にて、石川県キンボールスポーツ連盟総会。
 会長としてごあいさつ。
 次回理事会は、6月9日土曜日の午後6時から、駅前の「海ん中」で開催、と決定。

 19時半、「呑べ」にて、中村みくにさんの、お誕生日祝賀会。
 4月20日がお誕生日だったのだが、スケジュール調整の末、本日、お友達が集まって、誕生日会。
 おめでとうございます。
 あちこちごあいさつ回りをしてから、21時、和おんの湯到着。
 一日の疲れを洗い流す。
 22時半、スナックON AIR移動。
 仲間が集合。
 山田ひろし、もっちゃん、出むちん、向さん、大場さん、平木屋クリーニング社長、永っちゃん。
 缶ビールを一本あけての雑談会。
 結局、寝たのは午前様。


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