午前4時10分起床。
仙台は、雨が降る。
昨日は、夏至だった。
どうりで?蒸し暑かった。
暦の上では、夏到来。
でも、まだ仙台には梅雨は来ていないとのこと。
永田町だけか、一年中梅雨なのは?
梅雨の震源地は、菅総理。
すかっと夏の太陽やひまわりのようにはいかないものか?
自民党は、エネルギー特命委員会を設置し、山本一太参議院政審会長を任命した。
これまでの原発政策の検証、これからのエネルギー政策・計画の見直しが目的。
自然エネルギー導入の実現性も議論。
本格的にエネルギーシフトに乗り出すことになる。
アスレチックスの松井秀喜が守備について、無難にフライをキャッチ。
2打数1安打1打点。
活躍は、素直にうれしい。
野球選手は、打って走って守ってナンボ。
野球少年のような松井の笑顔に、救われる。
午前7時、滞在先のホテル出発。
ボランティアリーダーの山岸さんをピックアップ。
ガソリンも満タンにして、一路石巻市へ。
午前9時、貞山小学校到着。
GWにもお邪魔している。
そのころはまだ校長室も、泥をかき出したばかりの床がべとべとだった。
今ではカーペットも敷かれて、きれい。
作業着姿だった斎藤校長は、きちんと背広姿で、同居(間借り)している渡波(わたのは)小学校の高橋校長先生とともに、笑顔で待っていてくださる。
渡波小学校周辺は地盤沈下して使えず、今後、稲井中学校のグラウンドにプレハブ仮設校舎建設予定。
それまでの肩身の狭い間借り。
「子どもたちはわかるんですよ、自分たちが肩身の狭い立場だって。だから、はやく仮設でもいいから渡波小学校だけの居場所がほしいんです!」
と、高橋校長。
「で、渡波小学校からどうやってここまで通っていますか?」
「6台のスクールバスです。稲井にある避難所からもスクールバスが出ています。」
「全校集会は、どこでやってるんですか?」
「晴れた日に、スクールバスが到着した駐車場でやっています。そこしかないんです。」
「じゃ、職員会議は?」
「空いた教室を間借りしてやっています。ようやくファックスと電話がつきました。職員の居場所があるだけありがたいです。」
「現状の学校の様子は如何ですか?」
「正直言って、学校の体をなしていません。教員が被災・子どもが被災・子どもの転出入・学校が避難場所・校舎の間借り。学校行事も健康診断くらいで、体育の授業もできず、とても正常な学校活動ではありません。子どもたちはストレスの中です。」
「加配教員の申請はしましたか?」
「・・・していません。」
「事務職員も、養護教諭も、一人ずつでしょ?!小学校は級外教員もいませんから、校務分掌事務も大変でしょう!」
「その通りです。せめて一人でも級外がいれば助かるんですが・・・」
「スクールカウンセラーは、必要ですか?」
「いろいろと申し出はあるのですが、単発は困るんです。少なくとも1年間通ってもらいたいです。今後3〜5年、継続的に長期的に子どもとかかわってくれる保証があればなおいいです。子どもたちは、今は心理的にハイ状態です。でもこれからが大変です。親の生活問題も出てきますし、同じ小学校内でも、被災した子供とそうではない子どもが同居してますから不公平感もあります。そういう複雑な教育現場に対応できる、専門性の高いスクールカウンセラーに安定的に勤務していただきたいんですが、なかなかそういう適任の人はおりませんね・・・」
・・・心理療法士という身分で、待ちの姿勢のスクールカウンセラーよりも、教育カウンセラーのような、能動的で教育行政や教育現場に明るい専門家こそが必要なのだと。
家庭との連携ができたり、他の教員との情報共有ができたり、保護者のトラブルに対応できたり、いじめの仲裁ができたり、と。
「学校給食はいかがですか?」
「六つある市の給食センターが、二つしか稼働していないんです。だからまだ簡易給食です。パン・牛乳・冷凍フルーツに、レトルトのソーセージがつくだけです。ようやく二日に一度はご飯が出るようになりました。温かい汁ものが早く欲しいですね!みなとと渡波の給食センターはつぶれたので内陸部に建て替えしかありません。それが、いつどのような形で完成するのか目途が立ちません。」
「必要な学校の備品はありますか?」
「ピアニカやお習字道具やクレヨンなどはすべてそろったんですが、鼓笛隊の楽器や、職員室に必須の冷蔵庫やポットや電子レンジや扇風機があると助かります。」
・・・校長も遠慮深いのか、おたずねして初めて、これもあれも足りませんですと、つつしみ深くおっしゃる。
同行の山岸さんが先日イベントをやった時も、貞山小学校の子どもたちはノリがいいのに、間借りしている渡波小学校の子どもたちは借りてきた猫状態で、やっぱり子どもながらに我慢しているんだな、と明らかにわかる様子だったとか。
避難所にもなっている渡波小学校の今後の見通しが立たないので、それが高橋校長の最大の悩み。
保護者の生活支援・子どもたちの居場所づくり・教職員の負担軽減・町の復興。
すべてのことが同時進行。
改めて思う。
国会は、何をやっているんだ、と。
腐った日程闘争や総理辞職駆け引きでバカなことをやっているひまがあったら、政務三役も与野党幹部も一日でもいいからここにきて泊まって、泥かきのボランティアをしろと言いたい。
間借りして一生懸命勉強している子どもたちの要旨を拝見。
先生たちの熱心さに、頭が下がる。
午前10時半に、斎藤校長と高橋校長にお礼を申し上げて、次の視察先へ。
石巻市内を北上し、民主党の安住淳国対委員長のふるさと、牡鹿半島へ。
先日、牡鹿総合支所に、スーパー軍手と3M防塵マスクと鉄板ソール入り長靴を送った。
その牡鹿総合支所でトイレをお借りし、絨毯爆撃されたのではないかと思うほど、壊滅した牡鹿の港町を眺める。
ボランティアの皆さんが、かすかに残がいとして残った家屋から、泥をかき出したり瓦礫を処理している姿が見える。
「GWが過ぎたら、あっという間にボランティアも減ったんです・・・」と、山岸さん。
午前11時半、鮎川地区の牡鹿中学校 到着。
ここで、勉強用の電気スタンドを30個、下ろす。
自民党の金沢市議・県議団から提供いただいた大切な救援物資。
「避難所は午後9時には消灯なので、受験生が非常用の明かりの下で勉強しているんです・・・・」
と、いう声にお応えしての電気スタンド、受験生用。
高橋校長と大場教頭、そしてPTA会長も出迎えてくださる。
PTA会長の三浦さんは、日焼けして真っ黒。
「その日焼けは、漁師ですね!」
「そう、よくわかりましたね!転職5年目の漁師です!」
と、どう見ても私と同年代同士、話がはずむ。
「ここで頑張って生活しようと思って、子どもたちと一緒に残ったんです。子どもたちが希望です。でも、親の生活基盤ができなければ子どもたちも生きていけないんです!」
との親の言葉が身にしみる。
校長先生もおっしゃる。
「宅地造成、港の機能回復、インフラ整備。将来、この子どもたちがふるさとに戻れるようにしてやってください!」と。
牡鹿中学校は、もともと102名いた生徒数が、64名に半減。
その理由は、復興のめどが立たないから。
仕事もないのに、保護者はいつまでもここにはいられない、という切実な事情。
1年生は12名、2年生は21名、3年生は31名。
3年生が多いのは、「あと1年は我慢しよう」と、いうこと。
1年生が少ないのは、先行き不安。
生徒が減少しても、教員数が減っていないので、加配教員は必要ないとのこと。
このエリアの学校給食は、鮎川給食センターが共同調理場。
ここは震災でも大丈夫だったので、3000食分は作れるのだが、職員と食材と予算との都合で、稼働していないとか。
「え!そりゃおかしいんじゃないの?使えるなら動かさなきゃ!」
「・・・いろんな都合があるようでして・・・」
と、校長も歯切れが悪い。
何の都合やろ?
残った生徒のうち、半数が避難所や親せきのおうちからの通学。
「はせさん、子どもたちがお礼を言いたいからって待ってます。電気スタンドの受け渡し式してやってください!」
と、大場教頭がおっしゃるので、野球部の渥美ゆうひ君と女子バレーボール部の斎藤ゆかさんに代表して受け取ってもらう。
「金沢からわざわざ届けてくださり、ありがとうございます!」
と、礼儀正しい。
この言葉は、金沢のみなさんに、お伝えしよう。
「せっかくだから、校長室でおじさんとミーティングしようよ!」
と、椅子に腰かけて世間話。
「3年生の部活は、いつまで?」
「今週末が中総体(運動部の地区大会)なので、それまでです!」
「じゃあ、野球部もバレーボール部も気合が入ってるんだ!」
「はい、調子いいっす!」
「受験勉強は?」
「・・・・中総体の後から頑張りまっす!」
と、はにかみながらこたえる中学生、希望に燃えている。
こういう子どもたちの希望をつなぐために、復旧復興にもっと政治家は頑張らねばならないのに。
ここでPTA会長がお話をしてくださる。
「仮設住宅建設で子どもたちのグラウンドを奪わないでください。山を整地造成して、仮設用地や町の再建にしてください。市町村や宮城県だけじゃできません。国がダイレクトに市町村を支援してください!」
「うちの浜じゃ、50名中、24名がまだ行方不明です。私も20メートルの高波第1波を乗り越えて沖に逃げましたが、その後第2波第3波で、船は沖に流されました。なんにも残っていません。でも、生き残ったことに喜んでます。行方不明の24名の分も、生き残ったことに感謝して、ここでもう一度漁師をして頑張ります。だから、インフラ整備をお願いします!港も、市場も、冷凍施設も壊れたし、舟も、いかだも、漁具も、個人所有のものは何もなくなったんですから!」と。
校長先生は、避難訓練見直しをおっしゃる。
「防災計画も避難訓練も見直しが必要です。いままでは、昭和35年のチリ地震の津波を標準にしてたんですから。保護者への子どもの引き渡し方法も、警戒警報が解除されない限りは高台にとどめ置くとか、検証が必要です!」と。
午後1時半までお話をうかがい、移動。
海岸沿いのつづら折りの山道を、おにぎりをほおばりながら運転し、抜ける。
午後2時半、田んぼのど真ん中の、大谷地小学校視察。
ここも、地盤沈下で、校舎の基礎がむき出し。
杉山校長と、渥美教頭に面会。
杉山校長からおはなしをうかがう。
七ヶ浜小学校から、この4月に赴任してきたばかりの杉山校長。
学校給食は、やはりまだ簡易給食。ようやく6月から一品増えたとか。
でも、パンと牛乳ソーセージ。
野菜なし、汁ものなしでは、栄養価が低く、早く元通りの給食がほしいと、切実に。
体育館が使用禁止のままだとおっしゃるので、拝見。
地盤沈下で土台がゆがみ、壁面にひび。
杉山校長先生と一緒に、体育館の床にひざまずいて、歪みをチェック。
確かに、後方が盛り上がっている。
この見た目は立派な体育館が使えないと、集会や運動に支障をきたす。
「いつもは地域の活動にも開放しているんですが、それもできなくて申し訳ないんです・・・」と。
一体いつになったら予算がついて、工事が始まるのか?
石巻市だって業務多忙で手が回らないのと、税収大幅減少で再建見通しが立たないのではないか?
杉山校長がおっしゃる。
「でも、この地域は70代80代の区長さんや、婦人会の皆さんが政治家よりも影響力を持っていて、避難所の指揮役の役割も大きいんですよ!」と。
「これが新興団地だと、苦情も多いんです。やっぱり年の功ですかね。これが地域力ですかね!」と、頼もしくおっしゃる。
若い保護者が相手の小学校校長からすれば、「ご意見番」役の地域の年寄りが正論を吐くのが、学校経営への思わぬ協力になるのだと。
「あとは、石巻市は合併したばかりですから、まだ範囲が広く一体感がないんですよね。職員も被災してますし、予算も配分が難しいみたいで、これからがリーダーシップの求められるところです!」と。
なんだか、国会の民主党政権みたいな感じ?
寄せ集め軍団で、リーダーシップが発揮されてなくて、新興住宅の苦情が多くて・・・・
ちなみに大谷地小学校のこどもたちは、一面見渡す限り田んぼのど真ん中の学校へは、自転車通学。
「い、一年生も?」
「そう、一年生もです!」と。
午後4時40分から午後5時40分まで、石巻中学校へ。
前回も訪問したところ。
高台の日和山公園すぐそば。
「実は、本日で境校長が退職なんですよ。それでもいらっしゃいますか?」
「もちろん伺いますし、境校長のお話をお聞かせください!」と、懇願して伺った。
「なんで学期途中のいまごろ退職なんだろう、よっぽど悪いことしたか、よっぽどいいことがあったかのどっちかだな?」
と、石巻中学校が母校の山岸さんとひそひそ話。
「でも、最期だから、花束ぐらい持って行きましょう、こないだもお忙しいところをお世話になったんだから!」
と、市内の花屋さんで、きれいな花束を買って、放課後の石巻中学校へ。
到着し、校長室に通されてびっくり。
なんと、本日を持って退職し、来週からは、石巻市の教育長になるんだと。
「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」
と、山岸さんと二人、びっくりの二乗。
「そうなんだ、教育長に抜擢されたんだ!おめでとうございます。その記念すべき最期の教職の仕事に、私みたいなあやしい国会議員がやってきて、お相手していただいて、申し訳ありません!でも、今朝から視察でうかがってきたことの陳情を、新しい教育長にここでできるのもまた、何かのご縁ですね!」
と、今朝からの視察のまとめを境校長と一緒にさせていただく。
学校給食問題、避難所と学校の同居問題、仮設住宅建設問題、避難訓練見直し問題、学校行事消化問題、受験問題、避難所備蓄問題、学校統廃合と、建設用地確保の問題。
深く意見交換をさせていただく。
感謝。
グラウンドでは、女子ソフトボール部、陸上部、野球部の諸君が大声で練習中。
明後日からの中総体に備える中学生。
輝いている。
それを指導する先生方。
境校長も、任期半ばの退職は、無念そう。
だが、今度は石巻市教育長としての決断が待っており、新たに使命に意欲満々。
「石巻市は合併して、今年の2月末では16万2824名でした。それが今じゃ、宮城県でも一番犠牲者と行方不明者の多い市になりました。ここがふるさとであり、子どもたちが戻ってくるような街にしなければならないんです!」
と、境校長(新教育長)の決意は固い。
「7月8日から21日までが石巻市臨時議会です。ここで震災対応と補正予算が審議されます。新教育長の仕事もそこからがスタートです!」と。
がんばってほしい。
午後6時半、なんと、ラブホテル「マリナ」へ。
このラブホテル1棟が、まるごと避難所になっているというので、森喜朗先生と吉崎よしのり県議からのおみやげ「JA松任のまっちゃんごはん」を12箱と、蚊取り線香&ハエ取り殺虫剤を届ける。
川のすぐそばであり、ラブホテル駐車場で炊き出しをするみなさんは、蚊の大群との戦い。
いろんな事情でラブホテルが避難所となったのだが、まだ石巻市からは正式な避難所扱いを受けていない。
そこで、ボランティアの医師が、35名ほどの住民の健康管理をされている。
「いまは避難所です マリナ」という手作りの地図案内板が、避難所の厳しい現実を証明している。
ラブホテルの裏側は、大量のゴミ捨て場(中間処理場)。
劣悪な環境。
ハエが大量に発生。
でも、たくましく人は生きている。
行政の隙間で、こんなにたくさんの人が困っている。
延長国会で、一人でも多くの国民が、こういう生活から脱却し、自立できるように、取り組まねばならない。
それこそが、国会議員の務めだ。
午後8時半、仙台に戻り、金沢から支援物資のステンレス製水筒60個を持ってきた秘書と合流し、ボランティアセンターへと届ける。