衆議院議員
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はせ 日記
平成23年
4月5日(火)

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■4月5日(火)

 親友の中田幸司くん、教授に昇進、おめでとう。
 弱冠45歳。
 意外と速かった?
 いやいや、努力のたまもの。
 これからも教育に研究にまい進し、父上をしのぐ学者・教育者を目指してほしい。

 午前4時起床、ニュースチェック。
 午前6時半、自宅出発。
 午前7時、自民党本部で北村茂男代議士、阿部俊子代議士、永岡佳子代議士と合流し、一路福島へ。
 首都高霞が関ランプから入り、東北道へ。
 救援物資をトランクいっぱいに積み込み、視察。
 途中、2度、給油のためと茨城からの野菜を積んだトラックと合流のために、サービスエリアで休憩。
 順調に、午前11時に福島市内の亀岡よしたみ前代議士の事務所到着。
 打ち合わせもそこそこに、福島市南体育館へ。

 避難場所。
 被災者や、原発被害からの避難民。
 まずは3人の中学生に話を聞く。
 「学校は、いつからですか?」
 「明日から、とりあえず松陵中学校に通います」
 「もともとの学校は?」
 「原町第一中学校です。」
 「いつから学校に行ってないの?」
 「3月11日の地震のあとからです。」
 「学校の先生は?」
 「原町第1中学校に残っています。」
 「部活動は?」
 「バドミントン部です。」
 ここで、もう二人の中学生が口をはさむ。
 「私たちバドミントン仲間なんです。 いっしょにがんばろうねって言ってるんです。 ボランティアで来ているんです!」
 ・・・・女子中学生は明るい。
 「原町第1中学校のほかのお友達は?」
 「みんなばらばらです。 担任の先生から指示があって、私は松陵中学に行くんです。」
 「制服は?」
 「元の原町第1中学校のままです。」
 「じゃあ、早く元に戻りたいですね。」
 「いつまでに戻れますか?」
 ・・・・この最後の一言には答えられなかった。

 続いて、20代の兄弟にお話をうかがう。 二人ともマスク姿で、憔悴しきっている。
 「浪江町から避難してきました、原発避難です。 情報不足なんです。 役場に電話したらホームページでチェックしてくださいというばかりです。 おかしいです。 着の身着のまま逃げてきたのに、パソコンを持っている人なんていません。 高齢者や障害者はパソコン操作できません。 毎日ホームページを印刷して決まった時間に壁新聞として張り出してください!」
 「町の情報がほしいんです!」
 「電話しても窓口の若い職員が何も答えられず、5分も待たされて電話はたらいまわしです。 せめて窓口に座る人はどこへ電話を回せばいいかぐらいのミーティングをしてから対応してください!」
 「このまま浪江町に帰れなければ生活費にも困ります。 離職者対策を示してください!」
 それぞれごもっともなご意見でありメモをする。
 こういう声に、機敏に対応しなければならない。
 改善をお約束する。
 やはり情報弱者への配慮が必要だ。
 いったん亀岡事務所に戻って、カレーライスのお昼ご飯をいただく。
 美味しかった。
 カレーライスをいただきながら、福島県酪農青年研究連盟の要望をうかがう。

 ・ 原発事故を速やかに終息させ、放射能汚染防止を図ること。
 ・ 放射能による出荷制限の解除基準を明確にすべし。 速やかに生産開始ができる体制を支援すること。
 ・ 原発事故に起因する生産者・事業者の損害について、基準と方法を明確にし、早急に東電とともに政府は万全の補償を行うこと。
 ・ 風評被害対策を講じることとともに、被害補償対策を行うこと。
 ・ 緊急資金対策を講じるとともに、営農継続に必要な施策を速やかにとること。
 ・ 国による自給飼料の検査等を実施し、酪農経営が継続できるようにすること。
 ・ 肉用子牛生産者補給金制度の登録期限の延長措置を速やかに講ずること。
 お伺いして、すぐに自民党の酪農対策のプロ、江藤拓代議士に電話。
 要望をお伝えすると、すでに江藤さんが農林水産委員会で、篠原副大臣に質問した事項がほとんど。
 「篠原さんは事情をわかっているから、前向きな答弁だったよ!」
 と、いう実情をお伝えする。
 とくに、緊急融資、放射線検査情報の開示と安全基準、肉用子牛生産者補給金制度の登録期限の延長措置についての3点が関心が高い。

 カレーライスもそこそこに車を運転し、一路山越えルートで相馬市へ。
 山道をくねくねと上り下りし、相馬市の八幡小学校へ。
 当初は300名近い避難民が生活していたが、4月18日からの学校再開を目前にして、80名ほどにまで減少しているとか。
 「やっぱり少々無理をしてでも、自宅に帰ったり、もっとゆったりと暮らせる避難場所へ移動されるんですよね・・・」
 と、学校再開に向けてあわただしい中で、佐藤教頭に実情をお話しいただく。
 この席には、亀岡前代議士も同席していただき、教委同士の調整のお話をうかがう。

 「入学式も含めて、4月18日からの学校再開をします!」
 「原発避難に対応するために、相馬市が600人小中学生を受け入れる区域外就学で合意しています!」
 「でも、受け入れ態勢はまだまだです。 県教委の調整が十分出来ていないからです。」
 「原発避難の問題は、県教委ですら、相馬市と南相馬市の話し合いを調整できない。 どうしてかというと、放射線被害の基準がわからないからです。 保護者は不安で、子どもを返したくない人もいます。 子どもたちの安全だという放射線基準を国に示してほしいんです」

 「福島第1原発から20キロから30キロの圏内は屋内退避、自主退避エリアなんです。 それじゃそこに住んでいる人はどうすればいいのかわからないんです。 自己責任で逃げろというだけで保障も何もないんじゃ生活不安でやってられないんです。 だから、南相馬市に戻る人も出てきてるんです。 国の判断を求めているんです!」
 「指揮官が現場にいないと始まらないんです。 現場で決定権を下せる人がいないから、何も始まらないんです! そういう人を文部科学省からよこしてください!」
 「国の責任で県教委や市教委に説明してください!」
 「一応、4月1日付けの教職員人事は8月1日に延期されています。 ですから、3月11日時点と同じ教員体勢です。 保護者との連絡もありますから!」
 途中でミーティングに加わられた校長先生は、自宅を流され、お嬢さんが悲惨な姿で御遺体で見つかったということ。
 そんな非常事態にもかかわらず、学校が避難場所になっているので、その運営や、学校再開に向けて奔走されている。
 子どもたちばかりでなく、教職員のケアも大切だ。

 帰りぎわ、若い先生方から、
 「プロレスラーの馳さんでしょ? ファンだったんです! 写真撮ってください!」
 と、疲労困憊のはずの先生も、嬉しそうに記念撮影。
 この時ばかりは、プロレスラーでよかった?!と思う。

 さらに車を運転して、相馬市役所へ。
 籠城作戦(国が命令を出さない限り、自主避難しない宣言)を表明している市長さんと、意見交換。
 「磯辺地区の子どもたちは、津波被害が生々しくて、学校には通いたいけどあそこでは住みたくないと言ってるんです。 避難場所からスクールバスで通えるようにしてあげたいんです! 支援してください!」
 市役所の周りの家は随分と崩れていて、廃墟に近い。
 地震の大きさがうかがえる。

 ここから北へ上がり、新地町役場へ。
 岡山県の日本原陸上自衛隊の精鋭が拠点としている役場4階に上がり、激励。
 偶然ではあるが、阿部俊子代議士の選挙区であり、顔なじみ。
 隊員も地元の国会議員が激励に来てくれてうれしそうだ。
 役場ピロティから新地町を一望できるのだが、言葉もないほどの津波の被害。
 役場のすぐそこの民家まで、ずたずたにやられている。
 向こうには、駅舎がつぶれ、電車がねじれてひっくり返ったまま。
 田んぼには、まだ数十台の車が放置されている。
 地獄絵図。
 町長に詳しく説明いただいた後、避難場所である新地町小学校にお伺いし、市職員にトランクいっぱいの救援物資を届ける。

 ここから南下し、南相馬市の鹿島区役所へ。
 ここでは、一足先に着いた北村茂男代議士と永岡佳子代議士が、野菜や食糧をトラックから降ろしている真っ最中。
 地元消防団と協力して、2階の本部の部屋に積み上げている。
 「ダイヤモンドよりも輝いている野菜です!」
 と、大喜びしていただく。
 遺体捜索と回収にこの3週間かかりっきりの消防団員。
 自宅にも帰れない団員もいる。
 お疲れ様です。

 最後に、南相馬市役所へ。
 「ここが日本の最後の砦です。 5重苦です。 大地震、津波、原発、風評被害、情報不足。 マスコミも協定を結んで50キロ圏外に出てしまって、報道されません。 ここだけ日本から見放されたようです。 何とかしてください。」
 と、静かに語る市長の怒りのほどがうかがい知れる。
 やはり、原子力安全委員会からの、詳細な放射線データを明確に示してくれないと、市民生活も回復できないとのこと。
 市民が安心して、安全に生活できる放射線基準は何だ!と。
 原発のそばで生きている南相馬市民の苦難は、すべてはここから始まっているとの市長の訴え。
 意見交換が終了したのは、すでに午後7時過ぎ。

 山道を超え、アテンドしてくださった亀岡よしたみさんと握手をして別れ、一路東京へ。
 日付が替わろうかという午後11時55分、自民党本部に到着して散会。
 走行距離は、900キロ。
 往復9時間、現地滞在8時間。
 さすがに一人で運転し続けて、腰が痛かったが、被災地の御苦労を思うと何のその。
 さっそく自宅に帰って、明日の質問項目をまとめる。 


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