辞職に到る経緯説明・持論


『はせ日記』より

 5月9日(火) 

  石川一区の候補者調整は暗礁に乗り上げつつある。
 第3の候補の決意は固いが、肝心の自民党金沢支部はそうなると分裂。どうしても沓掛さんを一区の公認候補者に、との要望強い。
 せっかく新進石川と連携するために新人での第3の候補選びに努力してるというのに・・・
 まあ、それだけ沓掛さんの涙ぐましい努力を支持する人が多いのだろう。その情熱は多とせねばならない。
 なかなか悩ましい・・・  

 5月10日(水)

 沓掛後援会の緩詰さんと自民党金沢支部の沢飯幹事長が地元の説明に上京。午後から3時間ほど自民党金沢支部や沓掛後援会の実情を聴取。
 悩みは深まる。

 沓掛さんが下りて比例に回らなければ、第3の候補者を出せない。前途有為な若者を、分裂選挙の中で出馬させて傷つけることは出来ないからだ。
 さりとて自民党単独で沓掛さんを公認にすれば、金沢の政治勢力からすれば、厳しい闘いになろうし・・

 そんな苦悩の中、地元から「金沢市新生議員会が奥田党で一致結束。新進石川は市議の決断を重く受け止める!」との新聞記事がファックスされる。
 心の中で何かがはじける。

 「えぇーーっ!新進石川との連携協議は14日までなのにぃぃ・・・まだ結論を出すのは早いよお!」と思うとともに
 「やっぱりこの段階に及んでも奥田党かぁ・・・」との失望感が芽生える。
 「でも奥田建代議士を誕生させた市議軍団にすれば、そりゃ見殺しにできないんだろうなあ・・・」ともあきらめが。

 「やっぱり俺の主張する保守合同は無理なのか?」
 「森奥戦争を終結させて新しい政治路線を構築すべき! そのためにも第3の候補を!との金原・宇野・長・馳の4者協議は無理なのか?」
 「県都金沢から、政策実現にダイレクトに直結する与党代議士は絶対必要、との主張は通じないのか?」との自問自答。

 「もう、こうなったら、保守合同を念仏のように唱えてきた俺自身が責任を一身に受けて鞍替え出馬すべきか??」
 「自らの決断で新しい流れを打ち出す段階か???」と煩悶した末に、心の中の内なる声が(馳浩も一区候補者の選択肢に入れるべき)と聞こえる。
 それを内に秘めて、夜6時30分に総理官邸で森総理に情勢報告。

 「地元のことは県連会長の馳君に任せる!」「私の心には、馳浩も選択肢です」ときっぱりと発言。たじろぐ総理。
 沓掛さんの出馬に頑張ってきた緩詰さんや沢飯さんは、びっくり仰天。そりゃそうだ、候補者調整の行司役が突然まわしを締めて奥田建氏と闘うことになるのだから・・・

 森総理は「そうするしかないか・・・でも参議院自民党の了解がなけりゃ、なあ・・・」と腕組をして宙を仰ぐ総理。
 その場は馳の意向を確認したのみ。

 そしたら夜中の11時頃に総理から直接電話が入る。
 「・・・村上(正邦参議院議員会長)さんは馳君の鞍替え出馬を、例外措置として了解したよ!」とのこと。
 「えええええええーーーーーっ!」この瞬間、においてもまだ悩みは尽きず。

 俺自身の鞍替えは、自分自身が「参議院軽視・自治体の負担が大きい・自民党のエゴだ! 議席のたらい回しだ!」と厳しく指摘してきただけに、有権者に理解が得られるのか???
 さはさりながら、金沢での議席も必要。
 では、どうすべきか・・・
 結局応えは出ず。ただ、慎重な意見も参考の上で、心は乱れる。
 俺がこれまでの責任をとってやるとすれば・・・どうなるか・・・

 

 5月11日(木)

 午前中に、沓掛さんが参議院補選への出馬について理解を示したとの連絡が入る。
 そして、県連緊急役員会で、馳浩 衆議院石川一区に鞍替え、沓掛哲男は参議院補選へとの決定が下される。
 その連絡が、経済産業委員会中の私の携帯に入る。
 それが午後1時。これではもう、私が決断をくだすのみ。
 さっそく議員会館事務所にて、辞職願いを書き上げる。それをもって午後2時ちょうどに斎藤十朗参議院議長に提出。
 マスコミは急展開に大騒ぎ。

 辞職願い提出後、奥田建代議士から直接電話が入る。
 「・・・どうするんだ!」「辞職願いを出しましたよ」
 「出るのか??」「そうなりますね!」
 「奥田をつぶせということか?」「いいえ、私の相手はあなたではありません。有権者にどこまで通じるか、です。」
 「まあ、総理のために頑張れ!」「横綱に挑戦する幕下の心境ですよ」
・・・・・・

 ずいぶんナーバスになっている建ちゃん。これも運命ということか??
 しかし決断は早かったが、ここに到るまで2年間の紆余曲折があったわけだ・・・・

 

 5月12日(金)

 最後の国会対策委員会と議員総会。
 もうここには戻ってこないのかと思うと、万感胸に迫る。村上議員会長にうながされ、辞職のあいさつ。
 「6年間の任期をまっとうできず、申し訳ありません。皆さんのお支えのおかげで仕事をすることが出来ました。これから乾坤一擢の激戦に身を投じることになりますが、お時間の許す限り金沢に馳せ参じてください」

 国対の部屋のテレビの前で、本会議冒頭に議員辞職が斎藤議長により認められるのを確認して、慣れ親しんだバッヂを静かにはずす。
 無念。とともに、激しい闘争心がわいてくる。政治の世界とは、かくも厳しい。昨日の午後までは、誰よりも忙しく委員会運営に汗を流してばりばり働いていたと言うのに・・・バッジをはずせばもう、用済み。

 そのあと、衆参の議員会館を退任挨拶回り。
 現職の奥田建代議士に「在職中はありがとうございました」と挨拶すると
 「・・・どーしてこうなっちゃったんだよぉ」と顔をこわばらせて返事が。

 参議院議員会館では全議員の部屋に挨拶。
 民主党・社民党・共産党の野党のかたがたが「参議院の自民党にあなたがいなくなったら寂しいじゃないの」 「よく決断しましたね」 「頑張ってね」 「応援してるから・・・あっ、党がちがうんだっけ!」などと好意的に対応してくださる。

 思えば、右も左もわからない5年前だったが、なんとかここまでやってこられたのも、時には厳しく、時にはおおらかに接してくださった野党のみなさんのおかげ。深く感謝。

 夕方には金沢に入る。さっそく挨拶回り。
 地元千坂校下の後援会役員への説明会には、役員以上のマスコミが集まっており、一気に緊迫した空気が。
 辞職に到る経緯を説明するとともに、持論を述べる。
 「任期を務め上げたかった。自分で決断したことだが、この辞めてどうだったかの自問自答は一生引きずる。」
 「金沢から与党の代議士が一人もいなくて良いのか」
 「森奥戦争の終結を、自らの手で果たす」
 「保守合同は絶対に必要」
 「責任をもって政策を実行していきたい」

 

 5月13日(土)

 鞍替え批判の急先鋒だった自分がそうしようとしている矛盾、言行不一致の自己嫌悪、参議院議員を辞したことの喪失感。日を追うごとに、自分を責める自分がいる。

 そこまでして、世間の非難を一身に浴びてまで、それでも、それ以上に求めるものは何なのか? 何があるのか? との自問自答。

 身を捨てて また身を捨てて 身を捨てて それでもやはり 守るべきものの心境

 

 5月14日(日)

 夕方、金沢東急ホテルで新進石川との連携協議最終回
・まず、金原会長と宇野幹事長に、連携協議の当事者(私)が出馬するに到ったゴールデンウィーク明けの経緯を説明し、お詫び申し上げる。
・そして、4月15日からの経緯を再確認。
・この一年間、真摯に話し合いに応じていただいたことを深く感謝。
・協議整わず、結局激突して選挙に臨むことになったことを確認。
・比例についてはきちきちに詰めず

 「私は、新進石川のみなさん、新生議員会のみなさんと自由民主党が保守合同を果たすことが絶対市民・県民・国政のために必要であるという信念・旗印は下ろしません」と申し上げる。

 宇野さん
 「この一年間、こうして話し合いを続けられたのは、馳さんが誠実に対応してこられたからだ。そのことは評価する。今回、あなたが出馬されることについてどっちがどう、こっちがこう、という事は水掛け論でしかない」

 金原さん
 「まぁ、政治とはこういうこともある」と、私に、現実政治の厳しさをお話ししてくださる。

 そして宇野さんは「それにしてもあんたが出馬することになるとはなぁ。これであんたも政治家の仲間入りや!」
 ・・・・・どんな意味だろう??(わかるけど!)

 今日一日は市内を関係者挨拶回りで駆けずり回る。時間が惜しい。でも、焦ってもいけない。自分を見失ってはいけない。馳浩は馳浩だから・・・

 今回の一連の決断で、過ちは素直に認めよう。一生、この過ちは忘れまい。言い訳はしまい。
 しかし、ここまでの決断をしてまで、馳浩は国政で何をやらなければならないのか、決断の先には何があるのか、をしっかり有権者に伝えなければならない。

 明日は出馬記者会見。
 選挙とは手段。本当の目的は「政策の立案と実行」。そのためには、いつも自分に厳しく、自分に批判的にいなければならない。

 

 5月15日(月)

 自民党関係者は私の出馬を歓迎しているようだが、自分としては、何かちょっと違う気がしている。自民党のためにこんな大きな決断をしたのだろうか??
 違う。

 じゃあ、金沢市民のためにだろうか?? それもなんとなくしっくりこない。

 だって、目指そうとしているのは衆議院議員。
 憲法では明確に参議院よりも優位性、強い権限をもった国政の場。参議院は衆議院の補完・抑制・均衡の役割。
 これまでの参議院の経験を踏まえて、より責任を大きくもって国政に貢献しようとしているのではないだろうか??

 今回の一連の出馬への経緯はある部分、そういう内なる声を正当化させようとする言い訳でしかないのではないだろうか??

 心の片隅には、もしかしていつも(衆議院でもっと暴れて正論を吐きまくってやりたい)と思いつづけていたのではないだろうか?

 出馬の記者会見に臨みながら、そんなことを考えていた。

 

 5月16日(火)

 市内を挨拶回りしていると、おもしろい現象が起きている。まず、完全に俺を見る眼が二分されている。
 一つには、敵対心を剥き出しにしたり、無関心を装うような冷ややかな眼。
 もう一つは、圧倒的な愛情で、すがるような、そして期待を込めた眼。われながら不思議。
 これは森奥戦争の焼き直しの意味か? それともハセ建対決の序章か??
 願わくば、ハセ vs 建 であって欲しい。だって、与党自民党対野党民主党 馳浩対奥田建 以上の争点がどこにあるのだろうか?

 

 5月17日(水)

 さっそくあいさつまわり。参議院議員としての5年間に感謝。そして、衆議院選挙出馬のあいさつ。参議院補欠選挙には沓掛さん、とのあいさつ
 3つもいっしょにあいさつ・・・・

 みなさんにはご迷惑をおかけするばかりで本当に心苦しく、胸が痛い。でも、「決断した以上、やるっきゃない!」の心境でもある。

 自分自身が中学生の頃から抱いていた「こんなんでいいがかいや??」という政治に対する自問自答を、自らが衆議院議員として解決していくために、決断したのだから。
 批判や誹謗中傷、悪口やあきらめからは何も生まれない。
 誰かが責任を持って、すべての批判を受けてでも、国家のために、国民のために、誰かのために、国会の政党政治の中で政策を実行して行かなければならないのだから、やらなきゃいけないのだから
 自分が、その誰かになりたい。

 地元ちさか小学校校下の諸団体連絡協議会の顔合わせ会合に、奥田建代議士も出席される。それを聞きつけてテレビ局が取材に! せっかくの宴会の場が、緊張する。
 時期が時期だけに、一気に火花散る前哨戦の空気が。しかし、そこは奥田さんも私も大人。「今日は喧嘩はしませんから!」と奥田先生がことわると、一同にも笑みが。
 私は私で握手を求めると、一同、大拍手。もしかすると、二人でいっしょにいるときが、一番落ち着いたりして。
 でも、友情と国政は別。

 

 5月18日(木)

 参議院同期の新風会、そして森派の清和会であいさつ。

 野中幹事長にも、党本部に出向いてご挨拶。
 「今回は石川県のことでいろいろご迷惑をおけして申し訳ありません」
 「君が謝ることはないよ。党の決定だ」単刀直入にひとこと・・・
 「とにかく、くつかけさんもあなたも当選して、国政において仕事をすることだ。」これまた明確な激励。

 衆議院選挙に出馬表明をして、周囲のみなさんにいろんな迷惑をかけている。
 後援会の幹部、家族、これまで仲良くしてくださった参議院の与野党のみなさん、町内会のみなさん、対戦相手の奥田建さん、そして、自民党のみなさん・・・・数え上げれば切りがない。
 本当に、申し訳なく身の置き所がない。でも、そこまでして、いったい、自分は本当に何をしようとしているのかをずっと考えている。
 ある部分、自分を裏切って、他人を裏切って、決断とはいえ、いろんな人に迷惑をかけて、そこまでしてもやらなければならないこと・・・それに気が付いてくれる人はどれだけいるのだろうか

 今回の闘いは、まさしく、自分が対戦相手だ。自分に勝たなければ何も前には進まない。対戦相手は、新進石川でもなく、新生議員会でもなく、奥田党でもなく、奥田建でもなく、自民党でもなく、自分自身だ。

 夜、近所の人たちと森総理大臣の「神の国」発言について激論。
 私の見解は「問題外」。総理大臣とは、国家の最高権力者。つまり、国民のリーダー。いくら自民党の人間とはいえ、あらゆる国民の代表という自覚があれば、ああいう発言は出てこないはず。

 いくら「神道政治議員連盟」の会長が綿貫民輔小渕派会長とはいえ、この発言は軽率。ただちに撤回すべきだ。でも、だからといって即時退陣を求める野党の総選挙対策みえみえの対応も顰蹙。

 まずは、発言の真意確認と発言の状況と憲法論議を総理に求めることだ。それを明らかにしてこそ責任野党じゃ、ないの?

 

 5月19日(金)

 あれ? 俺ってもう、参議院議員じゃなかったんだっけ??
 じゃあ ただの人?? などと独り言言ってたら、ある人が「何言ってるの?馳浩はずーーっとただの人じゃない?!」と言ってくれる人のおかげで今日一日、幸せな気分。

 金沢市内を死ぬ寸前まで歩き回る。でも、死なない。よっぽど頑丈なのか??
とにかく、自分の信念を貫きたい。
それが実現するまでは死にたくないし、死なない。
他人の誹謗・中傷・やっかみ・ひがみ・自己批判の欠如
そんな事態に堕したりしないように、自分なりの言葉で明日を迎えていたい・・・

 市内を精力的にあいさつまわり。いくら時間があっても足りない。焦る。でも焦っては自分らしくない。歩きつづけることで自分が見えてくる。自分のためではなく何かのためにうごかなければならない。何かにつきうごかされて前進あるのみ

 

 5月20日(土)

 高見さんはお母さんの通夜・告別式のために、金沢入りできず「応援に行けなくて、ごめんなさい。来週は必ず行くから」との申し訳なさそうな電話のむこうの声

 夜、はせ浩と歩む会の臨時総会。これまでの出馬に到る経緯を説明し、沓掛哲男さんとともにご支援のお願いを申し上げる。
 「馳、やせたんじゃないか?」「顔色悪いぞ」「悩み過ぎじゃないか?」「決断した以上、俺たちはおまえを信じているから」「明るく、さわやかに、馳らしくやろうよ」「寝られるときに寝ておけよ」・・・・・・・
 感謝。

 

 5月21日(日) 

 今朝も4時30分に家を出て、夜11時に帰宅。
 よくこれで倒れないなあ・・・とも思うがまったく平気。頑丈なからだに感謝するしかない。

 夕方、また2件の会合で奥田建代議士と同席。
 二人でいると眼で合図したり、お互いにつつきあってしばしお互いを思いやる。
 会場内のかたがたのほうが緊張感でいっぱいの好奇の目で二人を見つめている。

 

 5月22日(月)

 昨日辺りから前向きになってきた。
 挨拶やお願いに回るにしても、演説するにしても、与野党ウンヌンではなく、今、国政において何をすべきなのかを素直に話せる気分になってきた。

 奥田陣営は、森総理攻撃とか、谷本知事や山出金沢市長のためにも負けられないとか、権力をふりかざしてきた。
 なんか、金沢では俺のほうが野党みたい。
 奥田党として、強固な組織をバックにしている現職と馬車馬のように市民の中を走りまわる馳浩。

 俺の理念は「保守合同」のみ。そして、ひとりでも多くの市民の声が、直接国政に反映され、実現されればそれで良い、だけ。
 体力と知力とど根性はあふれかえっている。いろんな人に逢えば逢うほど、何か大きなうねりが起きていることを感じる。
 このままでいいのか?
 自民党よ!
 金沢政界よ!
 奥田党よ!
 まさに本音で語りたい!

  

 5月23日(火)

 連合後援会事務所開きには400人を超える支持者のみなさんが押しかけてくださって、感謝。
 決して足の便利な場所ではないのに、こんなにたくさんのかたに来ていただいて、本当に嬉しい。

 そして、挨拶では「横綱に挑む大関出島の心境。今は、立ち合いあいてのふところにもぐりこんだところ。政治とは、庶民の夢を現実のものとすることが出来るすばらしいものです。今回は、この夢を実現するために、闘いぬく。押して押して、押し捲る。みなさんもいっしょに闘いましょう!」

 挨拶回りで、行く先々で、何か大きなうねりが起きているのを実感する。みんな、これまでの閉塞感を打ち破りたいとの気持ちをもっているようだ。

 歴史は誰かによって作られるのではなく、自らの決断と努力とによって、切り開くべき。みんな、そう思っているみたいだ。   



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