教育分野における
新しい政策課題と政治家の役割


  一.はじめに 

 財政改革を最大の政治課題とする小泉総理が一躍有名にした江戸時代の長岡藩の「米百俵」物語。この目先の利益のために、本来やるべきことを先送りしてはならないという歴史的故事は、国家が行う教育投資の重要性も表している。しかし、教育のどのような分野にどう投資するのかを明確にしなければ、「垂れ流し」の批判を免れない。ましてや、教育の荒廃が言われて久しいわが国においては、教育の根幹的制度設計の変更が求められているのである。なぜそのような変化が必要であるかについては、二つの理由を挙げることができる。一つは、わが国の教育の荒廃が深刻化していることである。いじめ、いじめ苦による自殺、校内暴力、不登校、最近顕著になっている学級崩壊、少年犯罪の凶悪化などの問題が同時的に発生している。また、道徳心や公徳心の欠如、忍耐力がなくすぐキレル子供たちの増加。文部科学省流に言えば、「生きる力」の欠如が深刻化している。もう一つの理由は、国家存亡にかかわる人材養成の問題である。すなわち、欧米へのキャッチアップを終えたわが国は、現在の経済力や国際的地位を維持していくためにも、科学技術創造立国でなければならない。そのための想像力豊かな人材が何としても必要であるが、この点も先進各国と比較して遅れをとっていることである。

 まさに、本論文のテーマである「教育分野における新しい政策課題」とはこのような抜本的な変更の必要性に関わることである。そこで本論文においては、まず現状把握を通じてこれまでの問題点と「新しい政策課題」が何であるかを検討し、その原因を追求する。原因の一つとしては、政策そのものに関するものが考えられるが、これについては「政策評価」をまず行い、今後のあるべき政策体系を論じたい。課題のもう一つの原因は政策形成過程に関わるものであり、これについては「政治家の役割」という視点から論じたい。

 

  二.これまでの教育政策をいかに評価するか

1. 学校教育の問題               

 教育問題の論議のなかで一般的に指摘されるのは学校教育の問題である。すなわち、知識偏重、暗記中心の教育が創造性や人間性の育成を軽視しているというものである。また、文部科学省指導の「上から」の学校運営の管理であり、これが管理的、画一的教育の弊害を生んでいるという指摘である。まさしく、没個性であり、教育ニーズに不適応な体制と評価せざるを得ない。

 しかしながら、明治以来の時代的背景から考えても、このような学校教育政策がそもそも誤っていたとは言えない。欧米に政治、文化、経済、科学のあらゆる分野で立ち遅れていた日本としては、これら先進諸国にキャッチアップするためには「知識偏重(当時は「重視」と考えられた)教育」により、文盲を無くし、安定した技術力や事務処理能力を有する労働力を持つ必要があった。また、国民レベルでかかる労働力を確保するためには、画一的教育はやむをえなかったし、教育の均等という大義名分にも合致したからである。今は批判される偏差値偏重は当時の知識偏重教育の副産物とも考えられよう。いずれにしても、このような方向性を持った国策実現の教育体制としてはまさに国家主導の中央集権的管理教育がふさわしかったのである。戦後においても、おなじように経済的要請に応えた教育体制は維持され、その結果、日本が欧米へのキャッチアップに成功したということは、自他共に評価されている。問題は、過去において適正な教育政策、教育体制が現代の時代的要請に応えられなくなったということ、つまり耐用年数を超えてしまった点にこそある。

 

2.教師、親(家庭)、地域社会の問題

 一方において、現在の教育問題が学校教育だけにあるとするならば、50年代から一貫して継続してきている教育政策・体制のなかで、80年代から多くの課題が一度に爆発的危機的に発生したことを説明しきれない。これについては、別の要素が複合的に反応を起こしたと考えるのが自然ではないか。実際に80年代からの大きな社会的変化を考えると、複合要因との複合反応が教育の危機的状況をもたらしたと考えるべきであろう。そしてこの複合要因として、80年代からの「教える側」すなわち教師、親(家庭)、地域社会の(教育力の)衰退を挙げたい。そして教える側の衰退は、とりもなおさず学ぶ側の学ぷ喜びの衰退と規律の衰退(自由放任、勝手気まま主義)を招き、それが危機的教育荒廃の発生に一気に結びついていったのである。

 関連して、では、教える側の衰退はなぜ生じたのか。一般にその答えとして、知識偏重、画一的教育を原因にあげがちであるが、その議論は当たらないと思われる。むしろ、それにはいくつかの関連しあう理由があると考える。一つは、後述の政策形成過程についての議論で詳細に触れるが、文部省対日教組のイデオロギーの対立による影響が挙げられるまた、知識階級による誤った自由民主主義の輸入、特に規律を前提としない自由の放任、共存を考えない人権、そして親ひいては家庭さらには地域社会が行う主に道徳的教育は個人尊重と相容れない干渉として否定したからと考える。関連して、親の子供の人格形成に対する無関心ひいては極度の学校への依存体質が教える側の衰退を助長したと言える。

 

  三.これまでの教育分野における政策形成過程をいかに評価するか

 教育をめぐる政策形成過程およびその過程に関与したアクターは、時代的変化とともに変化してきている。したがって、その評価はそれぞれの時代について行うべきものと考えられる。

1.文部省・日教組対立の時代

 戦後のGHQの支配を免れてからの一時期においては文部省の上意下達の管理体制で教育政策が形成されてきたと言っても過言ではない。都道府県・市町村教育委員会に主体的な地位は認められず、日教組のみが対抗勢力であった。特に勤務評定や主任制度といった学校管理面や教員制度での対立は、日教組が教師労働者論に立っていたこともあり激しいものがあったが、政策形成過程に影響を及ぼす圧力団体の域を出なかった。一方、政治家と言えば、政策形成に関与したのは対日教組対策に骨を折る自民党の「治安族」が主流であった。総じて、日教組関連の教育政策以外については、文部省が決定的な役割を演じていたと言えよう。ただ、文部省と日教組という教育の供給サイドの不毛なイデオロギー対立が両者の相互不信を生み、現実のあらゆる教育課題に対応できない機能不全を起こさせていたと評価せざるを得ない。日教組も組織率の低下と内部での路線対立が深まり、文部省との和解とともに往年の力を失っていった。また強調すべきことは、文部省と日教組の対立を国民が支持しなかったことである。

 

2.文教族の台頭

 しかし、70年代の大学紛争を契機に、教育内容に関心をもつ自民党の「文教族」が台頭してきた。とはいえ、文教族と文部省との対立は総じて枝葉末節にかぎられ、むしろ緊縮財政のもとで両者は協力して予算獲得にのぞみ、他の省庁の族議員集団と対立することに中心的役割があった。このような現象はこの当時文教関係に限らず、全省庁的に見られたのであった。ここで指摘すべき点は、各政策分野の政策形成過程での自民党対官僚の主導権争いについての分析は意味がないことであり、実態としては、各省庁とその分野の自民党族議員からなる行政分野ごとの「部分政府」、これら「部分政府」間の争いが中心的なものであったということである。さらに言うと族議員は政策形成過程に関与することよりも、政策決定後の予算配分により熱心であったのであり、教育分野においても、幼稚園から大学までの私立学校の予算獲得により熱心であったということは指摘されるべきことである。文部省は他の省庁の例に漏れず既得権益維持の体質を強め、日教組との対立もあって自ら改革に取り組むことに臆病であったと言わざるを得ない。

 

3.内閣・臨教審主導の政策形成

 そのような政策決定過程に変化が起きたのは84年中曽根内閣に臨時教育審議会法が3年の時限立法で制定されたことであり、内閣ひいては臨時教育審議会(臨教審)主導の教育改革が推進されるようになった。すなわち、臨教審は文部省や自民党族議員から距離を置き、教育界の学者もなるべく排除し、主として産業界関係者をプレーンとする内閣、臨教審が主導する政策形成の手法が取られるようになった。ここで注目すべき事は、文部省、日教組などの教育サービスの供給サイドから産業界ひいては国民一般という消費者サイドに主導権を移す試みが行われたということである。すでに述べた通り、産業界ひいては親を含む国民一般の消費者サイドが、「もう供給サイドに任せられない」と自ら改革に立ち上がったわけである。すでに教育の荒廃は広がりを見せ始めており、教育界が産業界をはじめとする国全体としての人材養成のニーズに応えていないという不平不満がこの背景にあった。したがって、この革命と言える変化は、単なる権力構造の変化を求めたものではなく、管理、画一教育を否定して教育の自由化という政策そのものの一大転換を求めたものであった。

 

4.臨教審の教育政策および政策決定過程への影響

 臨教審の目指した政策、権力構造の転換はいずれも頓挫するわけだが、その後の教育政策およびその政策決定過程に画期的な影響を与えた。すなわち政策的には、臨教審が目指した市場競争原理を導入する自由化に変わり、週5日制、中高一貫校、飛び級、高校の総合学科、大学入試の多様化、総合的な学習の時間などの、教育の多様化が強く推進された。一方、政策形成過程では、文部省が中央教育審議会を通じて教育改革に積極的にとりくむことになり、大学を中心とする教育機関内部での内なる競争原理を導入していった。この一連の改革もまた臨教審の4次にわたる答申を基本的に受けての改革であった。また、自民党の文教族も教育政策に積極的に関与するようになり、文部省を政策杓にリードするようになった。例えば教育基本法の改正、6.3.3.4制の改革、少人数学級、教員の質の確保、道徳教育の充実などを積極的に提言している。特にボランティア等の奉仕活動の導人は、消極的な文部科学省をリードしての実現であり、まさに特筆すべき事柄であった。現在では、内閣、文部科学省、文教族の政治家が一体となって教育改革を推進しはじめていると評価できよう。野党も日教組の衰退以来、一部を除き積極的対応をしており、前述の奉仕活動の導入にあたっては、野党第一党の民主党も基本的には賛成しており、その協力的姿勢の典型例と評価することが出来る。

 臨教審の改革は確かに自らが掲げた政策を100%実現するにはほど遠いものではあった。教育に自由競争原理を導入しえたわけではないからである。しかし、多様な教育内容の選択肢が消費者サイドに提供されたわけであり、消費者サイドからみた臨教審改革は、まさに自由化された教育に近いものと言え、高く評価すべきものである。さらに忘れてならないのは、明治維新における第一の教育改革、戦後まもなくの第二の教育改革に引き続き、臨教審を出発点とし、今日まで連続性を有する改革は、臨教審が標榜した通り第三の改革と言えるものでる。そして、この改革は政治的革命時や国家緊急時でなく平時に行われた改革と評価できる。

 

5.教育改革に取り組む現在の政治家の姿

 上記のように臨教審をかなり楽観的に、かつ肯定的に評価したが、21世紀に入って今日に到るまでの教育改革は仕掛けが出来た段階でしかない。これから教育現場でどう理解され運用されていくか胸突き八丁のところにきたところと言える。これまでの改革は国民一般の消費サイドが立ち上がったところによるところが大きいことはすでに述べた。国民の代表たる政治家はこの動きに敏感に反応し、自らの教育改革案をとなえることに連鎖していった。その意味で、これまでの臨教審から始まった一連の教育改革は、供給サイドの機能不全がその発端であり、政治家が消費サイドの声を吸い上げて始まったと評価できる。

 このように政策決定に政治家が積極的に参画するようになったのは、日本の政治全般にみられる現象であるが、教育の分野ではかつての「文教族」とは違ったタイプの政治家の活躍が目立ち始めている。すなわち文教関係予算の獲得や文教関係税制の改正に奔走するタイプではない、己の信念と経験に基づいて教育理念と教育政策を堂々と論じかつ実現させようとするタイプの活躍である。他の族議員以上に理念・政策を公表し、現実の政策にも実現させているタイプである。先の奉仕活動の導入はその良い例である。その他、教員免許の条件として介護実習を義務化した例もある。これなどは、わざわざ議員連盟を作って、文部省の反対を押し切り実現した議員立法である。関連して、サッカーくじ法などは青少年への悪影響を恐れて及び腰の文部省に代わり、議員立法で成立させた法案である。自由になる政策経費の少ない文部省には喉から手が出るほど魅力的な法律で、この成立が一層文教族の力を助長した。なお、ここで注意すべきは、他の例えば建設族・農林族と異なり、今日の文教族は、幼稚園関係を除き、集票・集金に縁遠く、そのため議員の出身支持母体というより、個人的信念と興味をもとに形成されている族議員であるという事実である。また、文教族の中心的人物は、文部大臣経験者が多く、それ以後文教関係に熱心に取り組む場合が多い。他の族議員に見られる党政調の該当部会長、該当の委員会理事・委員長、該当の官庁の政務次官をいずれも歴任した典型的中堅族議員は少ない。したがって、ゆるやかな、つまり上下関係や不分律的なものはなく、比較的利害でつながってはいない集合体と言える。それ故に、逆に人数や結束力において他の族議員に比べ劣る。これは文教族が比較的選挙に弱いことと無関係ではない。また、文部省サイドから見ても、教育は本来的に政治からの中立性が高い分野であり、また、他省庁の政策領域と重複する部分が少ないため、他省庁との折衝を要する案件がほとんどなく、「族」を育てる必要性がなかったとも言える。つまり、「部分政府」としての実態はなくなりつつある。そして、しいて文教族のバックグランドを求めるなら、派閥では現在、森、江藤・亀井派に多く、また教育特に体育・スポーツ関係者が多い。70〜80年代の特徴である二世議員や早稲田大学雄弁会出身の文教族は少なくなっている。

 このような文教族の姿は、改革を遂行して行くにふさわしい政治家のありようと言えないだろうか。なぜなら、改革はいわば既得権益の打破であり、利害関係を有する政治家はたとえ専門的知識が豊富であろうと既得権益と結びついており、その改革は難しいからである。なお、ここでの指摘は、後述の全分野における改革遂行システムへの変更のヒントになっている。

 このような教育分野で活躍している政治家は、今後推進すべき教育改革についていろいろの提案を始めている。今後の政治改革において政治家がいかなる役割を果たしていくかについて議論する前に、わたくし(や同僚議員たち)が考える教育改革の方向について次に論じたい。

 

  四.新しい時代の教育分野において望まれる的確な政策とはなにか。

 教育改革を進める上で明確にしておくべきことは、個々の政策の付置づけを明確にできるような政策体系の枠組みである。これが無ければ、個々の政策の事前・事後評価をするだけでなく、この集合体となる一連の教育改革の全体的な事前.事後評価を行うことが難しい。ここで、政策体系を二つの座標軸として提示したい。その一つは時間を機軸とする縦糸列の座標軸であり、ここに個人の年齢に従って変化する幼稚園、小、中、高、大と続き大学院まである軸であり、学校歴の変化で表示される。すなわち学校座標軸である。もう一つは場所、空間を機軸とする横系列の座標軸であり、個人に影響を与える教育の主体や場である家庭と地域社会ひいては産業界との関係を表示する社会座標軸で表すことが出来る。そして両座標軸の関係は、個人は加齢(学校歴)にしたがって、家庭、その次は地域社会、最後には産業界との順番で、それぞれの関わりを深くし、深くなるごとに以前のものとの関わりは浅くなる。そのような関係に学校座標軸と社会座標紬はある。

 

1.学校座標軸に関する教育改革案

 今後の教育改革の目的は、現在の経済力、国際的地位を維持するうえで必須条件である科学技術創造立国の実現であり、その実現に不可欠な創造力あふれる人材の養成である。これはとりもなおさず、個人の持つ個性、能力を最大限伸ばすという目的とも言い直せる。キャッチアップの時代のような均一な能力を持った人材を大量に養成する教育体制ではなく、創造力あふれる、文部科学省の言う「自ら課題を発見し、自ら解決する能力」である「新」学力の養成を目的とするとも言える。そしてここで提案したい具体的政策は現在の6・3・3・4制の単線型を見直し、複線型の学制にすることである。その内容を以下に要約する。

(1)総合学科、単位制高校の拡充

  高校段階での総合学科や単位制高校の拡充は複線型の教育に資する。特に普通科目と専門科目を選択できる総合学科は、自らの適性をじっくり探る学校として期待できるものであり、現在の通学区に一つあるような拡充が望まれる。

(2)中高一貫校の拡充 

  中高一貫校は、本来高校受験の弊害を除去することを目的としたが、受験エリート校としての弊害が生じている。複線体制の強化のためには、中高レベルの学校に多様な特色を持たせるべきである。学校によっては、英語教育を充実させる、理工系を充実させ大学の授業を単位として認めさせる、体育や芸術を充実させる、人間性教育を重視し6年間かけて生徒の進度に合わせた教育を図る、基礎教育の徹底を図る、等の多くの特色を持つ中高一貫校の拡充が必要である。

(3)中高一貫校によるエリート教育の建て直し

  中高一貫校の充実とも関連するが、有能で社会に貢献し尊敬される人物の養成を目指すという本来の意味でのエリート教育の建て直しが必要である。エリートと言われる存在が私利私欲に長けた頭が良い人間としか思われなくなっているが、公徳心や公共心を持った社会の指導者を育てることが、ボランティア精神が横溢し、良き市民で良き隣人を尊重する社会の確立、即ち「行政」に頼らず自主的主体的に問題をとりくむ市民から構成される市民社会の発展にとり不可欠と考える。

(4)学校内部の学級運営の改善

  中高一貫校、単位制高校の拡充という学校それ自体の改革だけでなく、学校のなかの学級段階での工夫も複線型の教育の促進に資するものと考える。具体的には、個性重視の学習形態である飛び級の設定や習熟度別学習の普及、さらには、主要科目の20人程度の少人数学級やティーム・ティーチングの推進などが望まれる。

(5)中高改革の効果的促進のための諸方策

  個性、能力重視の複線型の教育を促進するための中高レベルに関する上記のいくつかの提案の実施においていくつか注意すべき点を附言したい。第一に、早い段階での進路決定を特徴とする複線型のマイナス面の克服である。そのためには途中での進路変更を可能にする必要がある。第二に、6・3・3・4制を単に5・4・3・4制に変えるといった変革は単線型の発想であり、意味がない。第三に、学校選択の自由は複線型にとり重要であるが、いつ学校がつぶれるかも知れない状態を作るような臨教審の主張する市場競争原理による自由化には一線を画すものである。バウチャー制度も生徒が集まらなければ学校がつぶれるわけで支持しえない。しかし、一般的な競争原理は不可欠で、意欲ある教師への給与に成果を反映させること、問題教員を適正な手続きのもとで排除できるシステムの構築、意欲ある教員の研修制度の充実、各学校への予算配分に優劣をつけること、これと関連して学校の事後的外部評価機関の確立等を今後検討すべきである。

(6)大学入試改革

  中高一貫校を活かすためには、知識偏重の大学入試の改革が不可欠である。したがって、どの大学が入試の工夫により創造性豊かな人材を採ろうとしているかを第三者評価機関を設けて予算配分に優劣をつけるくらいの方策を検討すべきである。また、入試のための資金と手間の関係で安易なペーパーテストに依存している傾向に鑑み、AO入試等の拡充に対して予算補助を別途考えるべきである。

(7)大学改革

  大学の本来の目的である研究成果の社会への発信が十分でないこと、有為な人材を輩出していない等の大学への批判は近年一層高まっている。大学改革についてここで詳述することは出来ないが、大学の独立行政法人化を通じて大学にまつわる内外の規制を取っ払い、大学に活気を取り戻す抜本的な改革が必要な状況にあることを強調したい。高等教育への予算の硬直性、外部研究費の活用が困難であること等、規制が強すぎる弊害は広く認められている。そのため、各大学の予算配分権を大きく認め、教授会から学長を中心とした執行部へ大学運営の主導権を移行する等の措置が急務である。このため、大学の外部評価制度の確立とこの評価に基づく予算の優先的配分、教授等の任期制の本格的導入も検討すべきである。さらに、国策に応じて果断に子算をつぎ込めるシステムも考案し、たとえば、世界的発展や競争が予想される研究分野の中心的拠点への重点的予算の配分なども検討すべきである。特にこの点は、大学が民営化されていては難しいと考える。そこで、独立行政法人化が望まれるのである。

(8)大学レベルでの産学連携

  大学と企業の連携を強化することは大学の改革にもつながる。大学が持つ研究成果とマッチさせるTLO(技術移転機関)の拡充は焦眉の急である。また、産学の共同研究も推進し、大学教授が企業役員を一般的に兼任できるよう人事制度の改革も進めるべきである。これに関連し、大学からの起業が拡大するような政策も重要である。

 

2.社会座標紬に関する教育改革案

 ここでの教育改革は、いじめ、不登校等の教育荒廃に対応するために、家庭と地域の教育力を向上させることを目的とする。この教育力の再生が子供たちの道徳心、公徳心を回復させるという基本認識を持つとともに、家庭、地城、学校の連携が子供たちに学ぶ意義や喜びを与え、「生きる力」を身につけさせるものと考える。

(1)家庭の教育力の再生策

  核家族化の進展、共働きの増大などが、従来家庭が主役であった子供のしつけが不十分になる状況を作っている。このため子育ての講座、カウンセリングの強化、公共の相談室の開設などが重要である。しかし何よりも地域社会全体としての取組とフォローアップが必要である。地域の公共のボランティアとも言うべき民生委員が児童委員を兼務しているが、児童委員を独立させて若い家族を支援する体制を強化する等、核家族を地域社会から孤立させないための方策が必要である。また「地域通貨」などを通じて、お年寄りと夫婦が助け合えるようなシステムも考えたい。放課後の児童を預かる学童保育施設の充実も必要であるが、政府の所管の問題があって十分な予算措置が執られていない。厚生労働省と文部科学省が共同所管して推進すべき問題であることは明白なことである。また、親を雇う企業の社会的責任としての協力も、長期的には企業自身の利益につながるのだから推進すべきである。総じて、家庭の教育力の再生には、親自体のゆとりを国、企業、地域が一体となって援助してはじめて実現する問題と言える。

(2)地域の教育力の再生策

  病んでいる学校を支え、今日の教育荒廃を解消する切り札は、まさに校区が単位となる地域社会である。地域社会はさまざまな生活レベルでの共同体としての姿があるが、その共同体の維持のために未来を担う子供たちの健やかな成長が不可欠であり、今日の教育の荒廃の解消のために貢献することは地域社会の自己利益でもある。

 その地域社会の教育力を再生させるためには地域主体のボランティア活動を学校に移入すること、即ち学枚における奉仕活動の義務化がもっとも効果的であると信じている。現代において、子供の道徳心や公徳心は学校の机上で教えても効果がない。福祉体験等を通して自分が役に立つ感動を覚え、逆に「生きる力」を与えられる。ただ、これを学校が主体となって行うには負担が重く、地域が主体とならなければならない事業であると考える。なお、自主性、無償制、社会性を持つボランティア活動を学校で義務化することについての批判がある。理解を求めたいのは、奉仕活動を通じてボランティア活動の「芽」・「きっかけ」を育てたいということであり、これにより、行政に依存しすぎる国民体質を直し、「行政に対して何ができるか」を考えて行動する真の市民を築き挙げることを目標にしていることである。いわばボランティア社会、NPO社会こそ21世紀の理想社会と考える発想がこの背景にある。このボランティア活動の推進のためには、親や企業も協力した地域社会全体の取組みが必要である。

(3)学社融合とチャーター・スクール(コミュニティ・スクール)の設立

  社会体験を学校と地域社会が一体となって成し遂げる学校教育、ひいては社会教育活動の姿は部分的な「学社融合」の成立といえる。かかる「学社融合」の努力は小中学校レベルでもっと推進すべきであり、すでにそのような努力が地域によっては始まっている。このような学校融合の徹底した学校が、米国生まれのチャーター・スクールと言えるのではないか。地域、企業、一般住民が主体となって学校の教育理念、教育課程を作り、これを市町村や都道府県等との契約に基づいて認可してもらう。勿論他の公立学校と同じで財政支援は行われるのであり、公設民営学校と言える。これは教育改革国民会議で言うコミュニティ・スクールである。重要なことは、教育委員会にある教育人事権を実質的に校長に委ね、地域の人材を登用し、地域が学校経営の成果をチェックすることである。いまだ地域の教育力が不十分な現状においては、全国規模での設立は時期尚早と言えるが、モデル校を国の政策で立ち上げる段階に来ている。

 要は、地域の教育力の再生を起爆剤とする学校づくりの建て直しは、別の観点によると、教育の地方分権と言える。単なる上からの分権では支持待ちに慣れた地方教育機関にとり混乱だけが生じるが、地域社会がボランティア活動等を充実させることによって確立する分権ならば、教育の地方分権も効果を十分発揮することになろう。

(4)教育基本法の改正

  これまで論じてきた教育改革案は、文部科学省の言い方によると「心の教育」の充実にあたるのであろう。そのような言葉の故に反対論者は教育改帯の案そのものを戦前の修身教育の復活だとか、ムラ社会の復活だとか、論理を飛躍させた批判を展開しがちである。そのような議論が一定の説得力を持っているために、改革案の推進が阻害される。そこで、戦前の個人の人権を軽視するような逆戻りはありえないことを鮮明にしつつ、その上での「心の教育」を充実させることを国民に認識してもらい、合意を形成する作業が必要である。かかる国民の合意抜きでは、日教組との対立時代のように、制度化されたものが運用レベルで骨抜きにされる危険が十分あるからである。それほど運用レベルでの国民的監視が不可欠の改革なのである。

 そこで、私は教育基本法の改正を提案したい。すなわち現在の基本法には、地域社会が果たす役割の重要性がうたわれていない。ひいては日本の伝統を重んじる姿勢も無いし、21世紀のあるべき日本人像や社会像が見えてこない。もっと重要なことは、自由を強調するあまり規律の重要性を指摘できていない。本当の自由は適度な規律のなかでしか存在できないのである。これらの点についてしっかり議論し、国民的な合意を築かなければ、第三の改革と言われる一連の改革の実効が挙げられなくなることが懸念される。憲法改正をめぐる「論憲」ならぬ、教育基本法改正をめぐる「論教」を勧めたい。

 

  五.教育分野における政策決定過程と政治家の役割

 戦後の教育分野における政策形成における政治家の役割は時代の変化とともに変わってきたが、前章で述べたような第三の教育改革と呼ばれるような教育政策の大きな転換の必要性に直面している現左、政治家としてどのような役割を果たすことが出来るのであろうか。そして、その役割を果たしていくためには、政治家がいかに効果的に政策決定過程に関与していくべきであろうか。この点について二点論じたい。

 教育政策は臨教審以降、内閣が中心になり、自民党文教族、文部科学省が一体となって政策形成を図ってきているが、基本的方向性としては評価すべきと考える。小渕・森政権下では総理の私的諮問機関として「教育改革国民会議」が設定された。

 しかしながら、教育改革国民会議と臨教審とには大きな違いが見られる。それは、文教族との関係にある。臨教審は内閣主導であったが、文教族の反対が強かった。一方、同じ内閣主導の教育改革国民会議は、文教族の大きな支援を得た。

 なぜ、後者は文教族に支援されたのか。それは、国民会議が中間・最終報告をまとめる段階での首相が森首相であり、森首相こそが文教族のドンであったからだ。つまり、文教族との根回しができていたのである。また、教育改革国民会議の報告内容も首相を含めた文教族が既に主張していたものが大半を占めていたからである。一連の背景として、臨教審を前後して、文部省の力が減退した点も見逃せないだろう。これは、臨教審効果とも言えるが、先に指摘したように、臨教審後、国民は内閣主導の教育改革を支持し、文部省にNOを突き付けたのである。この意味で、臨教審の反省を踏まえ、内閣主導の教育改革は進化したと考えている。つまり、内閣主導の教育政策形成の中で、内閣と一体となる形で(決して省庁ごと「部分政府」と一体とならないで)政治家が改革案を推進していくべきである。そして、この内閣主導の政策形成は、何も教育分野に限られたものではない。

 もう一つは、教育分野の改革という性質から考えて、参議院先議にして、じっくり国家百年の計たる教育問題を論じることが望ましい。二院制の意義が問われているが、長期的議論を要し、慎重かつ大胆な解決が必要な教育改革こそ、6年の任期があり、民意の反映により「理の政治」を目指す参議院が大きな役割を果たすものと考える。 

  

  六.日本の政策形成システム全般のあり方と将来の政治家の役割

1.日本の二元的政策形成システムと首相公選制(与党と内閣の関係)

 ここまで教育分野での政策決定過程に焦点を当てて、内閣主導の改革がうまくいっていることを述べた。ここでは、より広く日本の政策決定過程全般について、教育改革同様、内閣主導の政策形成システムに変更するにはどうしたら良いか論じたい。

 現地の我が国は、経済、産業、行政システム、社会保障等、ありとあらゆる分野において改革が叫ばれているが、90年代が失われた10年と言われるように、これらの改革は遅々として進んでいない。そこで、この原因を分析することが、あるべきシステムを考える上で有効である。

 改革が進まない原因の一つとして、前述のとおり、「部分政府」と私が呼ぷ現象を挙げたい。すなわち、行政分野ごとに各省庁・族議員が一体となった部分政府が構成されており、そこで政策が完結されている。この状態は、右肩上がりの成長を遂げているときは問題がないが、成長が止まった現在の日本では通用しないシステムである。今後想定される歳出を厳しく見直し、とりもなおさず政策の優劣をつけていかざるを得ない時代においては、省庁間の調整は必須である。この点から、内閣主導の政策調整が最低条件となるものであり、現在、一連の法改正で内閣府が作られたり、経済財政諮問会議が設置されてきたことは、正しい方向として評価すべきである。今後は、これらが目的通りに運用されるかにかかっている。

 しかし、対省庁との問題は解決できても、重大な懸念がまだある。それは自民党ひいては与党の過剰な政策関与である。その反面であろうか、自民党の政務調査会が省庁を巻き込んで政策形成に主導権を持つようになった。また、連立与党の現在では、与党の最高政策決定機関の重みは内閣に匹敵するほどと評価する識者もいる。このような二元的政策形成過程においては、内閣と党が国家の基本政策について対立することがしばしばあり、党との政策調整で手間取ることも多い。何よりも問題なのは、政策過程で中心的役割を果たしている自民党は、既得権益やそれを代表する団体との結びつきが強すぎて、各省庁からなる部分政府に族議員単位で組み込まれ分断されている。したがって、党内の意思集約ができない状況になっている。これでは、自民党が諸改革の担い手になれないことは火を見るより明らかである。

 このような状況に鑑み、私は、憲法を改正して首相の公選制を実施することを強く主張する。なぜなら、首相公選制導入の眼目はまさしく首相の国民的「権威づけ」であり、この権威づけがない限り、首相ひいては内閣のリーダーシップの発揮、すなわち改革に必要な既得権益の打破はできないと考えるからである。まず、我が国には、党首選での党首の公約を党の公約そのものと考える土壌がそもそも無い。また、議院内閣制を採っているから、首相は国会の議決で決まる。つまり首相が選出される過程で、国民は関与する余地がなく、ここに歴代首相が与党、特に自民党の国会議員ひいては派閥の領袖に依存する原因がある。基本的に首相と派閥の領袖に権威の観点からの格差はない。そのために、派閥の領袖を中心とした党の政策決定機関が治外法権的に存在し、首相は就任当初からそこの政策調整を余儀なくされている。これでは、首相は、自らの信念に基づき党内の反対勢力と闘いながら自己の政策を遂行し、または改革を断行することはできない。同じ議院内閣制をとる英国で二元的政治がおこなわれていない、つまり党の実力者がこぞって入閣しているのは、英国の総選挙が各政党の党首を全面に押し出す、事実上の首相公選制の様相を強く持つからである。つまり、党首の公約は党の公約であり、ひいてはその政党が政権党となれば、首相の公約となる。党首を党のリーダーと考え党を選抜する土壌が希薄な我が国では、選挙制度を完全小選挙区制に改正したところで、英国のような事実上の首相公選制を演出することはできないだろう。

 そこで首相公選制にすれば、この公選こそ党の存亡をかけた選挙となり、首相候補の公約が党の公約そのものとなる。つまり、首相候補の公約が公選を通じて党の公約をリードし収斂させていくわけである。また、公選制を導入することで、党の実力者・政策通・族議員のリーダーがこぞって閣僚候補に名を連ねるだろう。ここにおいて二元的政治が解消される。

 

2.与党の事前審査制の改善

 以上、首相公選制について述べてきたが、それだけでは、完全に二元的政策形成システムを解消することはできない。すなわち与党の法案等の事前審査制そのものの改善が必要なのである。

 閣法について見ると、現在の与党の事前審査は審査時間が短く、省庁の情報提供も限定されており、極めて不十分である。また、与党内審査後の委員会審議も後述の党議拘束が強く、形骸化している。そうであるならば、せっかくできた政務官や副大臣制を活用して、彼らが党の政調の部会長または副部会長を兼任して閣法の制定当初から関与するのが効果的だと考える。そして、省内での政策形成過程と同時並行的に党内審査を行えば、これこそ政治家・官僚が一体となっての政策形成ができるわけであり、まさに一石二鳥、政治家の政策立案能力の向上にもつながると考える。

 そして何よりも重要なことは、党としての最終決定(自民党では総務会での決定)を、政策関連については廃止して、閣議決定に一元化すべきである。つまり政党内閣制を徹底させて、閣議決定をもって政党(与党)の最高・最終の政策決定とすべきである。政党と内閣が二元的に政策形成する現在の状況は、実施すべき改革断行を先送りし、また中途半端なものにしている。早急に一元化すべきであり、それも前述したように内閣に一元化すべきである。なお、この考えは、論議を呼んでいる与党の事前審査制の事前(閣議決定前に行う意味での)「承認」制を排除するものである。つまり事前の与党「審査」自体を否定するものではなく、与党の承認(決定)と内閣の決定を同時に行うものである。事実英国はともかく、ドイツは与党審査を積極的に行っている(なお法案の議会提出後の審査であり、議会提出前という意味での事前審査制ではない)。私案では自民党の政務調査会(政調)は存続させるべきであり、政調の各部会は副大臣・政務官が部会長等を兼任して主宰し、部会決定を閣議の中で議論させ、閣議決定を通して実現してゆけばよい(そして閣僚決定時点では、強く党議拘束をかけるものと穏やかにかけるものとのを区別する。理由は後述)。こうすれば、前述の首相公選制ともあいまって(首相公選制は政策形成の内閣一元化への推進役を果たして)、党の政調会長を含め実力者・政策通はこぞって閣僚になる。また閣僚は省庁の代弁者から、省庁を総合的戦略的にリードする「国務大臣」になる。まさに憲法が予定している閣僚の第一任務である。

 

3.国会論議の活性化と政策決定過程の改善の方策(与党と国会の関係) 

 今まで内閣との関係で政治家の役割を論じたが、国会との関係でもその役割を見直さなければならない。今後の政治家は、議員の評価として、いかに議員立法を成立させたか、内閣提案の法案を修正したかが問われ、それが政治家の評価につながることは間違いない。そして、現在の政治家の政策立案能力、それから「前法より後法優先」の原則をとらず、法案成立のためには関連法規との調整が事前に必要なわが国の法制定状況を踏まえれば、議員立法よりもまずは議員が法案を修正して行く「議員修正」が頻繁になるような姿に国会を変えていくべきである。政策決定過程の変更はまさしく国会改革でもあることを忘れてはならない。

 この国会改革と関連して、野党の意見集約能力、政策立案能力の向上が強く望まれるところである。野党の政策立案能力を高めるために、英国のシャドー・キャビネット制と同じように、野党が行う情報収集にのみ公費を出すべきである。また、省庁の官僚が与野党のスタッフに出向できる制度を取り入れ、特に野党へのサポートを手厚くする制度も設けるべきである。

 そして、将来の国会のあり方を考えれば、議員立法が活性化する方法を模索することは間違いではないだろう。そこで求められる議員立法活性化のための環境整備を四つ挙げたい。一つには、議員の政策スタッフの充実である。現在の政策担当秘書を国会職員にして、一定の研修後、党に配属して政策分野ごとに組織化すべきである。また、先述の官僚の政党への出向もこれに資する。二つ目は、議員立法の提出に必要な人数要件の緩和である。憲法上明文化されていないが、議員個人に立法提出権があるのだから、一人でも提出できるよう国会法を改正すべきである(ちなみに、その改正案を私は議員立法として参議院自民党に提出済みである)。お手盛り法の危険は、提出時に行われる国会に付託するか否かを判断する段階で妨げられる。これに関連して、三つ目は、その議員立法を国会審議に正式に付託するか否かを審査する定例日を確保することである。閣法優先は議院内閣制上当然と言えるが、だからこそ週に一日、議員立法の審査日が不可決である。四つ目は、衆院で国会付託の条件となっている会派の機関承認制の廃止である。機関承認制は党議拘束の行き過ぎであり、国会議員の立案権の過度の侵害である。

 関連して問題なのが、与党、特に自民党の党議拘束のかける時期である。従来、委員会質疑が始まる前に党議拘束をかけるために、委員会質疑の中で良い政策提言が行われても、原案が修正されることがあまりない。これでは委員会質疑が形骸化しても無理はない。そこで、閣議決定後に一律に強い党議拘束をかけるのではなく、委員会における修正審議を踏まえて委員会採決時に党議拘束をかけるようなシステムに変更すべきである。日本と同様に実質上党議拘束が強いドイツでは議会採択時に党議拘束がかけられ、委員会での法案修正が活発である。このような政策プロセスの修正によって、委員会全体の質疑が活性化し、次々に委員会で修正(つまりは議員修正)が行われるのである。 

 

  七.おわりに

 今求められる政治家は、行政分野ごとの専門家である族議員ではなく、国政全般について目配りができる、政策の総合的・戦略的企画や調整ができる、憲法で言う「国務が総理」できる政治家である。各省庁ごとの部分政府はキャッチアップ時代の遺物であり、これに固執するのは明かに過去の成功体験が変革の邪魔になる組織論上の典型例である。日本が行うべき改革は、その内容のスケールの大きさもさることながら、時間との勝負であることを忘れてはならない。そのためにも、首相公選制を軸とした与党の政策形成システムの一元化を図った内閣主導のシステムの確立が喫緊の課題である。

 翻って、現在の小泉内閣は擬似首相公選により組閣された内閣と言われている。現段階においても、国民の高支持率の下、特殊法人改革、医療保険改革等と担当の成果を残している。しかしその一方、その限界も露呈している。いずれの改革も族議員との妥協を強いられており、何よりも小泉内閣自身が、首相公選制と政策形成の一元化を求めていることがその証拠である。

 改革断行にふさわしい政策形成システムの確立こそ、「急がば回れ」、今の日本に必要な政策形成過程の改革である。

以上。

平成13年11月 衆議院議員 馳浩

 本論文は、2001年11月19・20日に(財)日本国際交流センターによって開催された『グローバル・シンクネット東京会議』にて発表されたものである。   



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