参議院 文教科学委員会会議録 第5号
(関係部分 抜粋)第159回 国会
平成16年3月25日(木曜日)
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○北岡秀二委員長
義務教育費国庫負担法及び公立養護学校整備特別措置法の一部を改正する法律案を議題といたします。
【途中 削除】
○大仁田厚君
どうもおはようございます。どうも、自由民主党の大仁田厚でございます。今日は、本案の質疑に入る前に、義務教育をそもそもどのようにとらえていらっしゃるかというのを文部科学省及び総務省、財務省それぞれのお立場から御意見をお伺いしたいと思います。是非、大臣には、いろんなしがらみがあるとは思いますが、大臣のお言葉で、本人のお言葉で是非この義務教育そのものに対しての御意見を、是非本音をお伺いしたいと思っております。
僕は、基本的に、僕、人間というのは好き嫌いがあると思うんですけれども、僕は大臣は好きです、はい。いやなぜ好きかというと、やっぱり朝一発そこで、こう座っているときに、おう、元気と声を掛けてくれると、人間不思議なもので、あっ、どうも、元気でやっておりますと、こう不思議なもので、そういうもので親近感を覚えるものです。これをSPが横におられてばばばばんと無視されて行かれたら、何だあの人はという、僕は人間てそういうものだと思うんですよ、単純に言うとですね。
先ほども中曽根先生と今お話をしていて、僕の学校観、僕の学校観というのは義務教育課程なんですよ。正直に申しますと、お恥ずかしいと、僕、五年前まで中卒だったもので、本当に義務教育課程しか知らなかったんです。それが僕の学校観なんです。
僕なんかの時代といわれると、山本先生がよく古い時代のことを言われるんですけれども、僕は懐かしく聞いているんですけれども。学校へ行くと、学校へ行くと体育教師にまた猛者みたいのがいるんですよ。通称クマという人がいまして、その人が、遅刻すると、遅刻すると、おまえ遅刻しただろうとかと言われて、はいと言われた瞬間に目の前に、目の前に来てもう間一髪、何も言わないで殴られるんですね。殴られて学生服のボタンが全部取れるんですよ。それで朝こうやって、教室に入ってこうやって座っていると、おい大仁田と担当の先生から言われるんですよ。おまえボタンどうしたと言われる。いや、ボタンですかと。おいおまえ前に来いと、また殴られるんですよ。そしてまた二時間目、理科か何かの先生に、僕がこうやっていて、おいおまえボタンどうしたと。で、また殴られるわけですよ。ずっと六時間なら六時間中殴られてですね。だけれども、不思議なことに、人間のコミュニケーションて何かなと思うと、やっぱり信頼関係から成り立って構築されているものってあるんですよ。先生から愛情を感じるわけですよ。
僕は先ほど別に大臣をよいしょしたわけでも何でもなく、やっぱり愛情を感じる人間に対して、人間はそれなりの行動を起こしたり感じるものがある限り、人間というのはやっぱり必要だなと思うんです。何をその人間から感じ、何を発するか、それが僕は人間の最大のコミュニケーションだと僕は信じているんです。やっぱりそこに生徒と先生という構築された信頼関係が成り立っていた。そしてまた、家庭はその先生に対して絶大なる信頼を持っていた。何でその部分が欠落していったのか、僕自身この答えを見付けることは物すごい難しいですけれども。
不思議なもので、僕は歴代、その中学で名をとどろかしていまして、歴代、桜馬場中学というんですけれども、何万人卒業したか分かりませんけれども、先生たちが僕のことを語ってくれるんですよ、ずっと。
それで何をやったかというと、学校の二階から飛び降りただけなんですけれども。それも安易なんですよ。掃除の時間にみんながいるわけですよ。大仁田、おまえここから飛び降りれるかと言うから、いやいや、おれどうかなと言いながらぱっと下見たら、ああ、これは飛び降りれそうだと思って、ああ、飛び降りれるよと。みんなが百円くれると言ったんです。四十六人いましたから四千六百円だと思って、おお、四千六百円稼げるなと思って、おお、おれはやってやると言って、おれにできないことはないんだと言って飛び降りるわけです。本当に飛び降りたんですよね、西岡先生。歴代、これ有名な話なんですよ。本当に飛び降りたんです。運悪いことにガラスの破片があって足に突き刺さって、痛いなと思いながらそのまま病院に駆け込むんですよ。
じゃ、ここで不思議なことに、それで先生が怒るかというと、怒らないんですね、また、不思議なことに、ちゃんとした受け止める世界があってですね。翌日、集金がありますから、松葉づえついてこうやって学校へ行ったんです。それで、学級委員長に、おい、おい、ほら、あの約束のほら、百円だから四千六百円くれよと言ったら、おい大仁田、おまえ話は最後まで聞けと言うんです。おれたちが言ったのは、みんなでまとめて百円だと。そのとき生まれて初めて分かるんですよ、人の話は最後まで聞いてからやろうと。
いやいやいや、これも、いやいやいや、冗談みたいな話ですけれども、やっぱり思い出、思い出って何かなって、やっぱり自分の中でいろんなものを感じたり、学校という友達からいろんなものを感じたりすることって、だから、僕はこんな冗談みたいな話しているようですけれども、やっぱり義務教育というものに対して僕らはやっぱり真剣に取り組むべきじゃないかなと。
本当に、何というのかな、僕は知らないんですけれども、本当に権利ばっかり主張するんじゃなくて、やっぱり義務も、義務も是非認識しなきゃいけない部分というのはあるんですけれども、義務教育って感じたときに、僕は本当に自然だったんです。義務教育というのは、義務教育というのは、もう本当に中学まで卒業しなきゃ、これはもうやらなきゃいけないことなんだよと。その中で楽しさとか苦しさとか、いろんなものを学んできたような気がするんです。
ちょっと筋、ずれましたけれども、本題に移らせていただくんですけれども。
いろんな部分で義務教育の国庫負担が一般財源化されることによってもたらされる弊害として第一に挙げられるのが、地域別格差が生じ、均等な教育を行うことができなくなるというものですね。文科省は、地域別格差を生じさせないためにも、義務教育国庫負担の堅持を主張されているわけですよね。しかし、現実的には各都道府県間、各町村間、さらには地域の学校ごとにも大きな格差が生じていることは否定できないと私は思うんですけれども、加えて、学校選択制や中高一貫の登場、特区におけるNPOの学校の認定など、義務教育課程においてもかなり幅広い教育がなされていると言えると思うんです。
また、小中高における不登校児生徒が平成十四年で実に十三万人を超えるという現状もあります。そしてまた、この十三万人の中には保健室や適応指導教室に登校している児童生徒は含まれていないんです。文科省の想定している義務教育を享受していない学童は十三万人をはるかに上回る数字になっていると思うんですが、このような現実を見て、子供たちのひとしく教育を受ける権利の保障や普通教育を受けさせる義務を果たすことができているのかということにちょっと疑問を感じるんですけれども。
学習指導要領に基づいて最低限度の学力を身に付けさせることを義務教育の定義とする御意見もあると思いますが、この点において、例えば兵庫県宝塚市のように、学習指導要領に定める年間総授業時間数の千五十時間を確保せず、是正指導を受けているような自治体もあります。この地域の児童生徒たちについて、明らかに憲法で保障するところのひとしい教育を受けていることができていないと思われるのですが。
○大仁田厚君
是非、馳大臣政務官にもお聞きしたいんですが、よろしくお願いします。
○大臣政務官(馳浩君)
義務教育の在り方ということですが、まさしく憲法第二十六条には、すべて国民は、法律の定めるところにより、保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負うと。これは実態でいえば、実態でいえば、保護する子女に、子供を学校に行かせる義務ということになっておると思います。憲法の本旨からいえば、まさしく小学校一年生から中学校三年生に至るこの期間において、まさしく親が子供に普通教育を十分に与えることのできる環境を整えておくことがまず義務教育に携わる我々文部科学省であったり政府の一つの役割であるというふうに思っております。そういった基本的な観点の中から、そうはいっても、教科書と、例えばですよ、最近世の中に浸透しておりますインターネットなどを通じて学力が、あるいは道徳的なものは子供たちに教えられればよいのかといえば、全くそうではないというのは国民だれしも分かるところであって、教員の資質の向上と、そしてその意欲を喚起させる、そういった努力があってこそ、初めて義務教育によって魂が吹き込まれるものであろうというふうに思っております。
大仁田委員から先ほどの御自身の学校時代のお話も承りましたが、まさしく、どのような先生にどのような関係を持ってそれを、九年間を過ごすかと。これを教員自身も我々教育行政に携わる者もしっかりと自覚をして、全国あまねくといいますか、どの地域に住んでいても義務教育の基本的な一定水準が確保される、これを担保しておくことがまさしく国民としての私責務であろうかなと、こういうふうに思います。
【途中 削除】
○大仁田厚君
済みませんが、馳大臣政務官にもちょっとお聞きしたいんですけれども、総額裁量制についてのメリットについてお伺いしたいんですけれども。
○大臣政務官(馳浩君)
突然の御指名ありがとうございます。財務省と総務省の答弁を拝聴しておりましたけれども、どうなんでしょう、やっぱり国庫補助負担金のやっぱり総額をまずは財政的な見地から削減したい財務省と、また、各都道府県において地方交付税において予算を執行したい、主導権を握りたい総務省と、そのはざまで文部科学省が苦し紛れに総額裁量制という制度を持たざるを得ない今現状になってきているのかなということを思いますと、まさしく我が国において考えられなければならない教育論というものについて、本質論がちょっとスタート地点で抜けていたのではないかなということを私は実感いたしております。
歴史をひもといてみれば、昭和二十五年、二十六年、二十七年と、地方財政平衡交付金という形で、これはまさしく、地方の裁量に義務教育費国庫負担金がゆだねられたときに、たった三年間で元へ戻されたんですね。まさしく地方の教育関係者から、まさしく財源の偏在性という観点から、とてもじゃないけれども憲法に保障された義務教育の根幹を維持していけないという、こういう訴えがありまして元に戻したという経緯もございますから、こういった観点を十分やっぱり総務省も財務省もひもといて、歴史に学びながらやっぱり政策の決定に取り組んでいくべきものではないかなという私はまず印象を持っております。
その上で、現実のものとして、総額裁量制によって現場の市町村の教育委員会がやろうとするべき裁量が枠が拡大する、その中で習熟度別の学級とかあるいは少人数学級が実現できるというのであるならば、これは現場の先生方にとってもまさしくやりがいのある現場が提供できるんでありますからいいと思います。
ただ、一点私は不安に思っておりますのは、そうかといって、教員の能力に対する評価というのがまだ私は各都道府県においても十分定まっていないのではないかなと思っております。その総額裁量制に対応できる教員もいれば、まだ十分に対応していけない教員もいるのではないかということを考えたときに、教員の能力にどのような評価をすべきかということの、これもまた少し、我が国としてやっぱり十分取り組んだ上でなされなければいけないのではないかと思っております。
当委員会にも西岡委員いらっしゃいますが、なぜにこの人材確保法が議員立法として提起されて、またこうして教育界に定着してきたかという、こういった歴史もひもといて、そんな上から教育論が論じられ、また総額裁量制についても、より良き総額裁量制になることが望まれているのではないかなという印象を持っております。
○大仁田厚君
急に質問したのに、それだけお答えしていただいてありがとうございます。
【以下 削除】
詳しくは参議院 文教科学委員会議録をご覧ください
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