参議院 文教科学委員会会議録 第2号
(関係部分 抜粋)第159回 国会
平成16年3月18日(木曜日)
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○北岡秀二委員長
教育、文化、スポーツ、学術及び科学技術に関する調査のうち、文教科学行政の基本施策に関する件を議題とし、質疑を行います。
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○有馬朗人君
もう一つ、最近しばしば起こることで私が非常に残念に思い不幸に思っておりますことは、両親による子供のいじめ、死に至るようないじめであります。この児童虐待が何とか止まらないかと私は思っているんですが、その中で一つ気になったことは、特に学校に関係があることと考えられることで気になりましたことは、不登校の子供たちの中に両親が非常にそういういじめをするというようなことで不登校になっている子供がいるように見受けられる点があることであります。この点に関しまして、学校、そしてまたその他の様々な機関、例えば児童相談所であるとか警察であるとか、そういうところの総力を挙げて、子供たちがいじめられない、特に肉親によっていじめられないようにできないものか、このことについてお伺いいたします。
○大臣政務官(馳浩君)
児童虐待はまさしく子供の人権の侵害でありますし、将来の我が国を担う子供たちにとっての大変憂慮すべき大きな問題であるというふうな認識を持っております。岸和田の事件等も受けまして、今年の1月30日に我が省の児童生徒課長の名前で通知を出しまして、いわゆる不登校の児童に対しての実態調査をするように、これは河村大臣の方からも先般予算委員会で表明されたことであります。
それに基づきまして、1月30日以降、30日間不登校の状態であるという児童生徒に対しましては、基本的には、まず本人との面会を求めて状況を把握する、またそういった中で虐待があると疑われるような場合には児童相談所に通知をし、また児童相談所としても本人との面会を通じて安否の確認をする、それが拒まれる場合には、現行の児童虐待防止法にもありますように警察に援助を求めることができますので、親戚などの関係者とともに訪問をし、最終的には警察官がその判断により職務執行法によりまして立入りをして実際には調査を行う、こういった形で学校の現場とそれから児童相談所等の福祉施設、また警察とも連携を取り合いながら状況を把握して子供が最悪な事態に陥らないような対応をすべき、今現在、文部科学省としてもそういった実態調査とともに対応に入っておるということであります。
○有馬朗人君
是非よろしくお願いをいたします。最近、学力低下ということが世の中でよく議論されておりますが、私は学力についてきちっとした客観的なデータなしにこの種の議論が行われてきたことを大変心配しておりました。幸い、一昨年、やっと小学校5、6年生、中学校1、2年生の学力についての調査が行われたことを大変喜んでおります。そして、その前教育課程、旧教育課程と言うべきかもしれませんが、旧教育課程で行われた子供たちの学力がどういうものかが分かり、それが1994年、5年に行われた同種の調査と比較することができるようになってやっと学力というものがよく分かってまいりました。
この結果、私は、前と変わってない、すなわち1994年、5年と余り変わっていないということを喜んだ次第でありますが、さて、2002年4月に導入されました現在の教育課程での学力がどうかということは、現在調査中のことであろうかと思いますが、その結果がいつ発表されるのか、お聞かせいただきたいと思います。
○大臣政務官(馳浩君)
いつ発表されるかというのは、今、今後の一つの課題でありますので、早急に発表できるようにいたしたいと思っております。そして、今、先生御指摘いただきましたように、子供の学力というのは、これはまさしく学力テストであったり、また児童生徒に対するアンケートに基づきまして実態が把握されて、それに基づいて今後の指導要領の改訂に不断の見直しがなされるように取り組むべきものと思っておりますので、今後、継続的にこういったことを行っていきたいと思っております。
○有馬朗人君
私は中央教育審議会の会長以来、毎年とは言わないけれども、数年に一度は必ずこのような調査をして、日本の子供たちの学力が本当にどうなっているか、その子供たちの希望がどういうものであるかということを調査の上で施策を立てていただきたいと申し上げていた次第であります。ただ、ただいま馳先生がおっしゃられるように、継続してやってくださるということでありますので、大変喜んでおります。是非お願いをいたします。そして、その結果を見た上で、今の指導要領の手直し、これは中央教育審議会の中にも手直しがすぐできるようにという仕組みをお願いしてあったと思いますので、手直し、そしてまた、5年あるいは10年先に考えられます新指導要領への作成の際に参考にすべきだと思っております。今までこういう調査をせずに指導要領が改正されたと私は思っていて、その点が大変不思議でありました。是非とも調査を詳しく、しかも引き続きおやりいただきたいと思います。
さて、この新しい指導要領、現在の指導要領の下での授業時間が大幅に減ったということが大変心配を皆さんに掛けているわけでありますが、私も非常に気にしております。しかしながら、私は全時間数は決してそんなに減っていないと思いますが、御確認いただきます。
○政府参考人(近藤信司君)
お答えをいたします。今回の学習指導要領の改訂によりまして、全体の授業時間数が、これは学校完全週五日制の導入というようなことに伴いまして、標準授業時数が年間約70単位時間程度削減されておるわけでございます。そういったことに伴う減でございますが、小学校、中学校とも総授業時数にいたしまして7%の減と、こういう状況でございます。
○有馬朗人君
7%減ということを強く私も認識している次第であります。にもかかわらず、世の中では、30%減った、だから学力はみんな30%減って、日本の国民の知識は、学力は低下するんだと、30%低下するんだという話が世の中では行われております。私はこれを非常に心配をしております。減った理由の最大の理由は総合的学習の時間の導入であったと思いますが、いかがでしょうか。
○政府参考人(近藤信司君)
新しいこの学習指導要領の下で、先ほど申し上げましたように、全体の授業時数は約7%縮減をされているわけでございますが、各教科について申し上げますと、例えば小学校では、算数を含めまして、教科の種類によって若干縮減率は違うのでございますが、14%から18%この六年間で減っておるわけでございます。ちなみに、小学校の算数は14%の減ということでございます。この減った原因でございますが、今、先生御指摘のように、小学校、中学校におきましては総合的な学習の時間を創設をしたということ、また中学校につきましては選択教科に充てる時間数が拡大をしたと、こういったことが主な理由でございます。
○有馬朗人君
総合的学習の時間の導入は私も大賛成でございました。しかし、現場では何をどう教えるのか、さらに、負担が極めて増えるんだという批判が大変大きいと聞いております。実施状況や成果についてお教えいただきたいと思います。なお、ここで御礼を申し上げておきますが、この文教委員会で、数学と理科を総合的に教えるとか英語で数学や社会を教えたらどうかというような提案をしたことがございますが、御採用になり、スーパーサイエンスハイスクールで実行されるようになったことに関しまして感謝を申し上げます。
ただし、ただし、なぜスーパーサイエンスハイスクールというこういう分かりにくい言葉を使うのか。文部科学省でしょう、片仮名を減らそうとおっしゃったのは。何で、科学重点高校でよいのではありませんか。この辺についてお伺いいたします。
○大臣政務官(馳浩君)
私も元々国語の教員でございまして、少々違和感を感じるところではございますが、従来の研究指定高校とは異なる取組を行うことが期待されているという観点から、スーパーサイエンスハイスクールという名称としたと承知しておりますし、また平成14年度に開始されて現在3年目を迎えようとしているところであり、この間、学校や教育委員会はもとより、大学や研究機関等においてもこの名称が幅広く受け入れられており、関係者の間でも定着しているものと思っております。また、平成13年の6月27日に自民党の文部科学部会で、科学技術・理科離れ対策小委員会で取りまとめいただいた中にもスーパーサイエンスハイスクールの創設という文言もございまして、こういった経緯、流れからスーパーサイエンスハイスクールという言葉として定着してきたのかな、そしてこの事業も現場に定着してきておるというふうに認識いたしております。
○政府参考人(近藤信司君)
総合的な学習の時間の状況等でございますが、平成14年度から本格的に実施をされ、各学校ではその趣旨に即していろんな創意工夫をしながらも実際に取り組んでいただいていると、こういうふうに承知をいたしております。教員、保護者あるいは児童生徒に対する意識調査の結果等からも、創意工夫された授業計画の組立ての機会が増えたとか、あるいは児童生徒が自ら調べ、まとめ、発表する力あるいは学習意欲の向上につながったと、こういう肯定的な声も出されているわけでございますが、一方では、先生御指摘のように、教員の負担感が増したとか、あるいは学習のテーマ設定が難しい、具体的な実施内容に関する教員の悩みと、そういったものを考慮して何らかの参考となる手引は必要ではないかとか、いろんな声があることも事実でございまして、私どもは、各学校の取組を支援をするために、モデル地域におきます実践研究でありますとか、あるいは総合的な学習の時間の実践事例集の作成、配付と、こういったようなことを行っておるところでございまして、今後とも、各学校における総合的な学習の時間がその趣旨に沿った形で充実をしていくように、私どももバックアップしてまいりたいと考えております。
○有馬朗人君
新しい、例えば総合的学習の時間の導入というふうな際には、やはり現場の方々の理解を十分深めるよう御努力を賜りたいと思います。さて、細かい話でありますが、一つ気になっているのは、今度の、現行の指導要領になってから高等学校へ移されたもの、進化論やイオンというふうなものがあるわけでありますが、今のやり方ではこの重要な進化論やイオンを一生勉強しない者が出てくるということであります。
それはどういうことかというと、高等学校で選択が余りにも多過ぎる。選択必須という学校で確かに必要な科目の社会科学や自然科学は学んでいるんですけれども、しかし選択必須の学校に対して批判的であります。
例えば理科で、高等学校の理科でありますが、物理、化学、生物、地学のごく基本的なところを必須で二年間ほど全員に学ばす、社会についても同じでありますが、学ばすようにして、三年目に至って初めて選択必須にしたらどうかと考えております。この点についてお考えをお聞かせください。
○政府参考人(近藤信司君)
お答えをいたします。高等学校への進学率が現在97%ということで、いろんな多様な子供たちが高等学校に進学をしてきているわけでございます。そういったことからこれまで選択学習の幅を拡大をしてきたわけでございまして、平成15年度から実施をいたしております新しい高等学習指導要領でも、理科につきましてもそういうことで改訂をしたと、こういう経緯があるわけでございまして、具体的には、これはもう有馬先生も御専門でございますが、選択必修科目の理科基礎、理科総合A、理科総合Bのうち少なくとも一科目を必ず学習することによって理科の分野についてより幅広く基礎的なことを学ぶことができると。このほかに、選択必修科目の物理T、化学T、生物T、地学Tの科目からも選択できるということから、選択の仕方によってはこれまでより多くの分野を履修するということも建前の上では確かに可能となっておるわけでございますが、ただ、先生からのそういう御指摘、こういう声もあるわけでございまして、実は先般、全国的な学力調査等の結果も踏まえまして、学習指導要領の不断の見直しの一環として、国語教育ですとか英語教育と併せまして、この理数教育の一層の充実改善を図るための検討に着手したところでございます。
そういった御指摘の点も含めまして、総合的に幅広く検討してまいりたいと考えております。
○有馬朗人君
よろしくお願いいたします。特に、繰り返しますが、進化論であるとかイオンであるとか、極めて基本的なことは全国民がきちっと勉強するようにしていただきたいと思います。場合によっては、中学校へ戻すということも視野にお入れいただきたいと思います。さて、授業数のことでございますが、諸外国の授業数を調査して比較していただきたいということをこの文教委員会でお願いしたことがございましたが、早速御調査をいただいたことに感謝申し上げます。
その結果、日本の総授業数は、決して世界の中で最低ということではありませんけれども、やっぱりやや低いんじゃないかと思います。それは、ハッピーマンデーとかそういう休日が多過ぎるのではないか。何でフランスがあんなに授業数が多いか私は非常に不思議なんですが、非常に多い。
そういうことで、ここで提案でありますが、日本は春休みなどというのが長過ぎやしないか。夏休みはそうでもないと思いますが、いずれにしても、春休みを少なくするとか夏休みを短くするとか、授業時間を少し抜本的に増やす方策をお取りになったらどうか。土曜日、日曜日は休みで絶対やるべきだと思いますが、総時間数を増やす工夫はいかがでしょうか、お聞きいたします。
○大臣政務官(馳浩君)
調査の結果、確かに我が国は調査を実際にいたした諸外国とも比べて少ないというのは実態です。例えば、小学校の総授業時間数で見れば、一位がイタリアの5780時間、これは小学校1年生から6年生までの総授業時間。インドの5760時間が2位ですが、それに比べて我が国は3872時間ですから、3割近く少ないわけですね。また、中学校段階でいえば、香港、フランスに比べてもこれまた2割近く少なくなって、総授業時間数で少なくなっているのも事実でございます。ハッピーマンデーとかも確かにございますが、これは法律で定めた休日でございますので、法律で定めた休日を諸外国と比べても、確かに我が国は15日とちょっと多いのかなというふうな印象を持ちますが。
そこで、先生おっしゃるように、これは学校教育法施行令第二十九条で、「公立の学校の学期及び夏季、冬季、学年末、農繁期等における休業日は、当該学校を設置する市町村又は都道府県の教育委員会が定める。」となっておりますので、設置者である教育委員会それぞれの取組であろうと思っておりますし、実際に、2002年には広島県で28校の高校が夏休みを短縮しておりますし、また、来年度からは葛飾区でも夏休みの短縮をしていわゆる補充する授業を確保するといったようなことがございますので、それぞれの市町村、都道府県における取組であろうと思っております。
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○有馬朗人君
どうぞよろしくお願いいたします。さて、大学ではかなり前から自己点検、自己評価を厳しく行ってまいりました。いよいよ国立大学が法人化する際に、様々な評価ということが問題になってまいります。その上で、文部省の中にできます大学評価委員会、こういうところがどういうふうな評価を行っていくのか。そしてまた、それと現在既にあります大学評価・学位授与機構との関係をどうするのか。特に、文部科学省の中における大学の第三者評価に対する取組の格好、そしてまた第三者評価は各大学の特色を踏まえたものであるべきだと思いますが、その点に対して御考慮、お考えがあるかどうか、この辺についてお聞かせいただきたいと思います。
○大臣政務官(馳浩君)
国立大学が法人化されることの一つの一番の意味は、評価機構ができて、その評価に基づいて今後の中期目標の立て方、計画の立て方について評価の在り方が今後の運営に反映されるものと、中期目標の、中期計画の立て方に反映されるものと、こういった評価がまた第三者としてもなされることが大きな意味があるものだと思っております。これまでの、これまでが悪かったとは申しませんが、まさしく国立大学の中に、競争的な意識であったり、また独自の取組とか教育研究に関してより一層の取組をしようという意欲をわき立たせるための仕組みになったものと思っておりますので、第三者による評価であったり、国立大学法人評価委員会の役割といったものは大変大きいものと認識しておりますし、その所期の目的が達成されるように指導していきたいと思っております。
○有馬朗人君
その教育と研究の評価についてでございますけれども、あくまでも当事者と同僚によってなされなければならないと思います。例題を申します。今非常に有名になった小柴昌俊さんのノーベル賞のニュートリノでありますが、このニュートリノ天文学の面白さ、重要性、可能性の評価は、やはり研究者自身とその協力者、そして少数の同じ又はそれに近い分野の研究者によってのみ評価が可能であります。
小柴さんの研究について、私はずっと何十年、同僚の研究者とし、さらに、理学部長とし、総長として見守ってまいりましたが、その意義を理解してくれた人は非常に少なかった。幸い当時の文部省、大蔵省が理解してくれまして、また海外からも私のところに非常にたくさんの推薦状が参りました。そういうことによってスーパーカミオカンデが造られまして、今世界的に大仕事をしていること、大変喜んでおります。
しかし、このような基礎科学の研究や教育、また別の例を申しますれば、サンスクリットや古代ギリシャ語の研究とか教育、こういうものの重要性はまず同僚にしか分かりません。しかも、このような人類の英知を継承し発展させることこそ大学の使命だと私は思っております。
こういうふうな基礎科学、基礎学術をどういうふうにお守りになっていかれるか。そしてまた、この評価をだれがどう行うのか。特に、同僚の意見を、その面での同僚、研究者の同僚の意見を是非お酌み取りいただきたいと思いますが、その辺に対してどうお考えか、お聞かせください。
○副大臣(稲葉大和君)
先生がおっしゃられるように、小柴博士の研究の成果については、私たちは、というか私は全く門外漢でありまして、あったわけで、正にノーベル賞が小柴先生に授けられたことによって、ああ、すばらしい研究なんだろうという、そういうところの認識でしかまだないわけであります。しかしながら、私たちが、我が国が科学技術を更に伸ばしていかなければならない、そのためには、各方面の研究者のその研究成果をしっかりと正しく評価できる、またPRできるその組織をきっちりと作っていくことが何よりも肝要だと思っております。
そういう組織があってこそ、新しくその方面に進んで研究をどんどんしていこうという意欲ある研究者も育成することができるものと思っておりますので、更に我々はその方面の充実に一層努力してまいる所存でございます。
○有馬朗人君
是非とも、基礎科学、基礎学術、技術においても、基礎技術を大学で十分研究し進めていき教育ができるように御努力を賜りたいと思います。さて、国立大学が法人化されまして、国立大学特別会計制度がなくなります。それに伴って、国立大学の予算も一般会計の中に入ると私は了解しております。ここで一つ大心配が起こってまいります。一般会計に対して予算のマイナスシーリングが行われる可能性があることであります。
国立大学の予算にマイナスシーリングの悪い影響が出ないようにしながら、しかも国公私立大学を通じて高等教育の予算を増額すべきだと考えておりますが、いかがでしょうか。
○大臣政務官(馳浩君)
有馬先生おっしゃるとおり、こういったシーリングの枠に縛られないように、これはまさしく高等教育関係者もそうですし、こういった国会の皆さん方もそうですし、財界からもそうですし、こういった御理解をいただきながら予算の獲得には十分努めていかなければならないというふうに考えております。
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○林紀子君
日本共産党の林紀子でございます。私は予算委員会でも子どもの権利条約に関して質問をいたしましたが、時間も大変短かったものですから、今日も子どもの権利条約の教育にかかわる部分について質問をさせていただきたいと思います。
日本は子どもの権利条約を1994年に批准しました。二年目に第一回の政府報告を国連に提出し、その後五年ごとに報告を提出して、どれくらい進んでいるか進捗状況について国連の子ども権利委員会の審査を受けることになっている、こういうことになっているわけですが、私はこの一月、ジュネーブで行われました第二回の国連の審査の傍聴に行ってまいりました。NGOに対しても事前に聞き取りが行われたわけですけれども、子どもの声を国連に届ける会、子供たちがこういう会を作っているんですが、その報告が大変すばらしかったんですね。
審査の前日にこの子供たちの意見発表があったわけですけれども、自分たちの経験を、競争教育の苦痛や生き苦しさ、体罰の問題、先生主導の学校の在り方、定時制高校の統廃合の問題、こういうことを次々と八人の子供たちが述べたわけなんです。
先ほど英語でディスカッションするというお話もありましたけれども、この子供たちは、例えば途中で学校に行けなくなったような子供もいるわけですから、そんなにみんなぺらぺらと英語がしゃべれるというわけではなかったんですけれども、やっぱり自分の体験を国連の委員にどうしても英語で伝えたい、そういう思いが非常に強かったものですから、特訓に特訓を重ねた。行きの飛行機の中もほとんど寝ずにずっとそれに取り組んで一生懸命覚えているし、ホテルの朝の食事のときも一生懸命やっていると、そういう状況だったんですけれども、とうとう英語で報告したんですね。そして、その声はしっかり国連の子どもの権利委員に伝わったと。審査にも勧告にもその内容は反映されました。私は、子供が意見を発表し、それを大人がしっかり受け止める、それはこういうことなのだということを目の当たりにしたなという感想を持って帰ってまいりました。
そこで、私は今日は、この子どもの権利条約の子供の意見表明権、そのことについてお聞きしたいと思います。
子どもの権利条約の十二条にはこういうふうに書かれております。「締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。」、こういうことなんですけれども、この十二条の考え方というのは、一人の人間として子供の意見は重視されるし、そして子供の人権は尊重される、こういうことなんだなというふうに思うわけですね。
これが子どもの権利条約のかなめだと、国連の子どもの権利委員の中からもこれが一番重要な条項なんだという発言もありましたけれども、大臣にお伺いしたいと思います。この十二条の意見表明権というのをどういうふうにお考えになるか。そして同時に、参議院にいらしたときから子どもの権利条約について大変熱心に取り組んでいらっしゃいました馳政務官にも同じことをお聞きしたいと思います。
○国務大臣(河村建夫君)
日本におきましては、憲法上すべての国民に基本的人権が保障されているということがございます。学校においても、児童生徒の人権にやっぱり十分配慮して教育活動を行うということは大事なことであると、私もそう思います。今回の御指摘のございました児童の権利条約十二条、この条約の趣旨、これはこれまでも、各学校においても学校現場においても、教育関係者、保護者には周知徹底を図ってきておると思いますし、各地方公共団体におきましても、条約の内容を分かりやすくしたパンフレットを作る、配布する、こうした広報活動も行われておるわけでございます。
この条約、今お読みいただいたわけでございます。この趣旨についても、これは児童の意見を年齢に応じて相応に考慮することで求めるということであって、児童の意見を無制限に認めるものではないと。例えば、校則やカリキュラム、そういうものは学校と、学校の判断と責任において決定されると、こういう条項もあるわけでございまして、この趣旨にのっとって、学校においても十分子供の、意見表明権と先ほど御指摘になったと思いますが、そういうものを配慮しながら教育活動が行われていて、この本条約の趣旨にのっとることを周知徹底を図りながら、この趣旨にのっとって教育が行われている、このように感じておるところであります。
○大臣政務官(馳浩君)
学校教育のあらゆる場面においてこういった子供の意見表明権といいますか、いわゆる子供が自ら情報を収集して、そして意見を構築して、それを表明して、また他者と交渉して、そしてそれをまとめて、またそのまとめたことに関して他者からの評価も受け、自分なりの検証もしながら、そしてそれがすべて受け入れられないときもありますし、他者からまたたしなめられたり、あるいはアドバイスをいただいたりするときもあります。この学校教育の現場において、あらゆる場面において子供たちができる限りそういう情報収集から意見構築、そして表明をする、そしてその表明に対して受け取る側が対応する、そういったまとめる能力、またそれに対する評価を受け入れる能力、こういったことが年齢に応じて、また個々に能力の差もありますから、その能力の差に応じてそういった能力が養成されるように取り組まれることが必要であろうというふうに思っておりますし、そういった中から子供たちが成長をする、学校を卒業して社会人になる、それぞれの組織に所属する、そういった場面において子供のころから培ってきたそういった意見表明の能力といったものが発揮されて、社会の一員として貢献できるように、自己実現ができるように、そういったことが自主的に発揮されるようになることが望ましいというふうに思っております。
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○林紀子君
十年前と全然考えが変わっていないと。本当にこの十二条について文部科学省は何にも分かっていないというか、本当にねじ曲げるようなやり方をしているというふうに思うわけですよ。だって、校則なんというのは、さっきの世界の問題よりもっと自分に身近な問題でしょう。それがどうして子供の意見が入れられないんですか。学校が決めてしまうんですか。これは、前回、九八年のときの日本政府の報告に対する審査について、当時の子どもの権利委員の一人がここに触れながら大変分かりやすく述べている部分がありますので、そのことをちょっとお知らせしたいと思います。
この通知というのは極めて制限的なものです。子供の意見を聞く機会について、機会については述べているけれども、子供の意見を耳に傾けるということについては何にも言っていません。そして、子供の意見を聞くということは、子供の意見を本当に考慮に入れるということを意味しますし、その意見が現実に考慮に入れられるということを保障しなければならないということを意味します。そして、今おっしゃいましたね、年齢の問題とか成熟度の問題とか、それについてもちゃんと言っているんです。
子供の意見が受け入れられないのであれば、なぜ意見が取り入れられなかったのかを子供に説明する義務があります。自分の意見を考慮してくれたこと、その決定に理由があるのだということを子供が理解すれば、望まない決定でも受け入れるのを容易にします。子供は理性を持つ合理的な人間なのです。
本当に子供をこういうふうに考えない、子供というのはもう大人の言うことを一方的に聞くものだ、こういう考え方だと校則は学校が決めますになるんです。しかし、子供というのは、自分の意見をちゃんと言う、しかしそれが間違っていることもあるかもしれないし、年齢発達途上ですから間違っていることというのも確かにあるでしょう。だけれども、あなたの意見はよく分かりました、だけれども、ここがこういう理由で受け入れられないんですよと、そういうことをきちんと説明すれば、きちんと子供はそれを受け止める。子供は理性を持つ合理的な人間です。このことがちゃんと受け取れるのかどうか、考えられるのかどうか、ここにかかわってくるんじゃないでしょうか。
大臣と、馳政務官、お願いはしておりませんでしたけれども、ちょっとここが一番大事なところですのでお聞きしたいと思います。
○国務大臣(河村建夫君)
四のところの表現の仕方でありますが、意見を表明する権利、表現の自由について、これについて、もとより学校においては、その教育目的を達成するために必要な合理的な範囲内で児童生徒に対しと、こうなっておりますから、この合理的な範囲内で指示や指導を行いながら、また校則も決めることができる。この第十二条の第一項の趣旨も、児童生徒の、児童の意見を無制限に認めるものではなくて、例えば校則やカリキュラムは学校の判断と責任において決定されるものだと、このように理解されるわけでありますから、これが極めて押し付けがましいといいますか、一方的なというよりも、児童生徒の発達段階に応じて児童生徒の実態を十分把握して指導していると、このような趣旨でありますから、この条約に私は反していないと、このように理解をいたします。
○大臣政務官(馳浩君)
児童の権利条約の第十二条と校則という観点と、何か急に結び付けて議論しているのも私もいかがかなと思っておりますが、最終的な学校の運営に関する権利、決定権といったものは学校側にあるとしても、そのプロセスにおいて何がしかの検討がなされるのは常識でありましょうし、そういう観点からいえば、余り私はこの文部省の通知に関しても、そういったいわゆる検討のような問題についても排除している文言もございませんし、またそれは子供の意見表明する権利を排除しているものとも思えませんので、私は十分に第十二条の趣旨も反映されたものだと思っておりますが。
○林紀子君
お二人の今のお答えから見ますと、そうしますと、これは子供の意見というのは校則の場合も、ここは校則になっていますからね、校則の場合も十分聞くんだということなんですね。そして、だから合理的な範囲内でとかということは、いや、それはちょっと違うよということがあった場合は、子供に納得のいくようにきちんと話し合って、そして、じゃ、ここを変えましょうと。子供が言ったことは、ここは取り入れられませんよということもあるかもしれないけれども、その大前提として、じゃ子供の意見をきちんと聞きましょうと。それが違っているよというときも、先ほど委員から指摘されたように、あなたたちの意見はここが違う、こういうふうに違う、それも納得ずくで話し合うと、そういうことだということですね。
○政府参考人(近藤信司君)
やや手続的な問題になりますから私から申し上げたいと思いますが、個々の児童を直接対象とした行政上の手続ではない、校則の制定でありますとかカリキュラムの編成等の決定につきましては、条約上の義務としての児童の意見を聞く機会を設けなければならないと、ならないわけではないと、このように承知をしているわけでございます。あくまで校則は、児童生徒が健全な学校生活を営み、より良く成長をしていくための一定の決まりでありますから、学校の責任と判断で決定されるべきことであります。ただ、もちろん、学校で校則を定めるときには、それは学校運営をうまくいく、あるいは子供たちに守ってもらいたいということもあるわけでございますから、当然そこでは校則の制定、見直しに当たりまして学級会、生徒会等で生徒に自らの問題として討議する場を設けるなどの指導上の工夫を行うと、それらの場面において必要に応じて児童生徒の意見も考慮していくと、こういうことは当然あることではあろうと、こういうふうに考えております。
○大臣政務官(馳浩君)
今、大臣ともちょっと検討して、検討というか話しておったんですが、私も実は中学生のとき一年間生徒会長を務めておりましたが、そのときも、そうですね、校則の問題について検討しましょう、各クラスに持ち帰って議論しましょうと。持ち寄って、じゃ改正するべきところはこう改正しましょうと。生徒会活動担当の教員にお願いをして、そして教頭先生、最終的には校長先生と話をして、そうですね、変えましょうねと。こういうふうなプロセスを経験したこともございますので、それは恐らく各学校の校長の判断であったり、またそういった意味では担任の先生方の判断もあるんでしょうと私は思っておりますので、検討は十分子供たちの意見を尊重しながらも、最終的な決定権は、これは学校長にあるとするならば、それを受け入れるという、こういったことは十分現場において尊重されているものと私は承知して、理解しておるものでございます。
【以下 削除】
詳しくは参議院 文教科学委員会議録をご覧ください
(参議院 会議録情報)