『「古典」簡単じゃないか』

馳浩の手とり足とり日本文学講座


推薦の言葉

 この一冊は、筆者「馳浩」君がかつて自分自身が「古典文学」に興味を持つに至った経験と、高校の国語教員としての貴重な体験の中から生み出された答案である。

 「古典文学」と耳にするだけで頭の痛い人、また日頃興味を持っている人も、いますぐこの本のどのページでもよい、手にしてみてほしい。「古典の謎」と、その背景とが文学と歴史の間で浮き彫りにされ、語られて行く。そして知らず知らずのうちに「馳節」に引き込まれ、興味津々の世界に浸ることができよう。

 筆者は学生時代に、数社が競うように刊行を開始していた古典文学の全集を、片端から読破していた。また早朝、始業の1時間前にはきまって研究室に来ているというファイトある学生であった。体育会に属していた彼は長期の合宿時には、必ず一冊の古典を持参して出かける文武両道の士でもあった。オリンピックへの参加の時もそうであった。高校教員になってからは、しばしば古典に関する専門的な質問内容の手紙が送られて来た。

 プロレスラーに転向してからも文学書への愛着は変わることはなかった。海外での長い修行時代にも1,630ページに及ぶ『源氏物語』をバッグにいれて持ち歩き、心の支えとしていたという。

 世の中学生や高校生が古典を嫌いになるのは「教え方が悪いからだ」と言い切る筆者である。宜(むべ)なるかな、名言である。古典への興味や鑑賞は、教えるとか教えられるとかいうものではなく、ある作品を読み、その作品の「エッセンス」がどんなものかを把握する技術の伝授にある。いかなる名作を読んでもその「エッセンス」が理解されないでは、読むだけ無駄である。その点、本書は読者や相手の立場に立って書かれているから、古典の「エッセンス」の何たるかがよく分かる。また、そこに展開される名場面には、専門的な知識無くしては語り得ない、奥深い解釈を始め綿密な分析と楽しい展開が随所に見られ、筆者の古典への蘊蓄の程が窺える。この一冊を読むことにおいて、読者は「古典を学ぶ人」から今度は「古典を語る人」へと転身するであろう。

 高校生や古典愛好者がいち早く本書を手にする一方で、教壇に立つ側がこれを読まないでいたとしたならば、やがて大珍事が起こるかもしれない。

 何はともあれ、一読三嘆、確実に古典への理解と興味とが倍増すること請けあいの一冊である。

専修大学教授 中田武司


あとがき

 ふと目にとまった和歌。なにげなく読んだ物語の一節に、人生の機微を学ぶことがある。事実を超越した真実に触れた時、私はそういった古典文学の作品にめぐりあえたことをありがたく思い、そしてこのよろこびを一人でも多くの人に伝えたいとわくわくする。

 金沢・星稜高校に国語の先生として赴任したころ。私はそこに天職を見つけ、毎日の授業に生きがいを感じた。作品の背景や作者の生きざまを生徒たちに語りはじめると、彼らはニコニコしながら私の話に耳をかたむけてくれた。至福の時であったと思う。

 ただ、少しばかりの不満も少しずつ芽生えてきた。それは、年間の指導スケジュールというワクだ。もっと気ままに、恋愛や人生の話をし、そしてもっと生徒たちの声に私自身が耳をかたむけたいと願ったが、まだまだ未熟な青年教師にとって、内なる意欲にこたえるだけの教員としての能力は備わっていなかった。

 自問自答するうちに、いつしか、私はプロレスラーへと転職し、今、参議院議員となっている。しかし、プロレスラーとして肉体を酷使し、リング上で闘い続けたころも、いつも文学に対するあこがれが心の片すみにあった。

 そんな折だ。受験雑誌『蛍雪時代』編集部から、「馳さん。高校生向けに、受験では味わうことのできない古典文学のおもしろさを伝える講座を連載してみませんか?」と誘いがあったのは。二つ返事で私はひきうけた。以来、参院選に出場表明するまでの25回にわたって連載した「馳浩のこてん古典パーフェクト」に加筆、修正を加えてまとめたのがこの『「古典」簡単じゃないか』である。

 教員時代からの十年来の夢が実現したともいえよう。今、改めてこの本のページをめくるたびに、私自身もまた、学びと気づきの世界にひたることができる。このよろこびを、一人でも多くの人と分かちあいたいと思う。

 専修大学の国文学科時代、私に古典のイロハを教えこんで下さったのが、中田武司教授。「こてん古典パーフェクト」の連載中、私は月に一回はあの頃のように学生に戻って中田教授のもとに通った。私の浅学に深みを与えていただき、さらに定説となっている解釈には、新たな視点を指摘してもいただいた。

 「定説に満足することなく、あなたなりの感性をフルに働かせて古典の中にひそむ真実を見つけ出しなさい」との師の教え。おかげで、学界の先生方にはへそを曲げられそうな解釈をも、私は中田先生のお墨付きを得て自由闊達にまとめさせていただいた。

 また、編集の際には、ご子息の、早稲田大学大学院文学研究科博士課程の中田幸司君に構成をお願いした。ありがとうございます。

 古典が苦手だというあなた。今までは食わず嫌いだったというあなた。この本を読み終えてどんな感想をお持ちになりましたか。

 機会がありましたらぜひ、ひざをまじえて語り合いましょう。楽しみに待っています。

 

 1996年2月

馳 浩


馳浩の著作に戻る