『感じたら走り出せ』

僕の政治家改革宣言


はじめに

 その時の私は、何だかキョトンとしたまま締まらない顔つきだったのではないでしょうか。

 参院選石川県選挙区の投・開票日の平成7年7月23日午後9時10分すぎ、金沢市の馳浩選挙事務所で大歓声が上がりました。

 その前から「勝った」「勝った」と、気の早い支持者たちの声で沸いていましたが、テレビの開票速報で「当選確実」が伝えられるやいなや、さらに天と地が引っくり返ったような騒ぎになりました。

 事務所内の別室で、妻や後援会幹部たちとともに「その時」を今か今かと待っていた私は、大歓声に促されるように支持者の皆さんの前に出ましたが、喜びを満面に表すわけではなく、感激に泣きじゃくるわけではなく、どちらかと言えば、戸惑い気味でした。

 正直言って、出馬の打診があってから2ヶ月、がむしゃらに選挙区を走り抜け、瞬く間にこの日を迎えたこともあって、

「本当に勝ってしまった」

と、自分でも驚いてしまったのです。

 現職の候補に「申し訳ないことをしたのではないか」と、思ったりもしました。

 もともとあまり喜びや、悲しみを大げさに人前で表さない生き方を美学としてきました。

 古典を学んだ影響もあって、日本人として雅びの心や、もののあわれ、そして謙虚の精神を大事にしてきたせいもあったでしょう。

 選挙中は、最後の最後まで劣勢が伝えられました。

 私が勝ったことは、まさにハプニングそのものと言えました。

 実際、自民党本部では、私が勝利した石川県選挙区を、負ける選挙区として勘定していたと聞きました。

 それが234,283票を獲得し、勝利をこの手につかんだのですから、選挙の持つドラマ性、エネルギーをつくづく感じさせられましたが、すぐには実感がわかなかったのも事実です。

 すし詰めのようになっていた選挙事務所から支持者がいなくなり、ガランとした空間を一人で見回しているうち、だんだん喜びが体の奥からこみ上げてくるのを感じました。

 今、東京・永田町にある国会周辺を走り回る毎日を送っています。

 まだ一年生ですが、キョトンとした、とぼけた顔をしている暇はありません。

 支持者の皆さんに送られて、石川県選出の参院議員として大海に舟をこぎ出した以上、理想の政治を針路に自分一人でオールを握り続け、大波を乗り越え、岸にたどりつくしかないのです。

  ふるさとや 21世紀への 海開き

 当選記念に支持者へのメッセージとして披露した俳句です。

 馳浩は、なぜ、政治の世界に舟をこぎ出したのか、どのような航海に挑戦しようとしているのかーー。

 私の21世紀に向けた海開きは始まったばかりです。 


おわりに

 参院選石川県選挙区に出馬表明してから現在まで、私はその節々を俳句に詠んできました。

 これまでも自分の偽らざる心境を俳句に託し、その時の状況や、これからの行く末を冷静に見つめることを心掛けてきました。

 俳句は、物事の普遍性を表現することでもあります。

 五・七・五の枠の中で、永遠性を伴うドラマを構成しなければなりません。

 俳句は私にとって、清涼剤であり、友であり、厳しいコーチなのです。

 馳浩の「政治家改革」は、この本をもって終わるのではありません。

 悩み、考えて、時には修正しながら、まだまだ続きます。

 だからこそ、締めくくりに選挙から当選後までの句作を振り返り、馳浩の息遣いを残したままで筆を置くことにします。

 俳句の持つ永続性は、まだ闘いの過程にいる私を表現するのにぴったりだと思うからです。

 平成7年5月30日の出馬表明では、自分の句作ではなく、万葉集の額田王の歌を引用しました。

  熟田津(にきたつ)に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな

 さあ用意万端、いざ出陣だ、という意味です。

 決意の大きさを表したかったのですが、自分の歌か句を詠めなかったところに、気負いが出ています。

 7月6日の出陣式では、出馬表明した後、「タレント候補」「プロレスラー候補」などと、一部にあった偏見を打ち破る意欲を示しました。

 私自身、こうした偏見との戦いに勝つことが選挙の中では大きな部分を占めたのです。

  文月や 岩をも砕く 小雨かな

 同7日の金沢市森本中での演説会では、対立候補を推す勢力が根を張る地盤であっただけに、それを断ち切る思いを込めました。

  梅雨空を 森本地区から 吹き飛ばせ

 ここまでは、挑戦者としてがむしゃらな私の様子が出ていますが、選挙戦終盤になると、ある種の開き直りが出てきます。

 選挙戦終盤の21日の金沢での総決起大会では、金沢城跡を5,000人の支持者とともに取り囲んだ後、

  梅雨空を 持ち上げて走れ あおい馬

と詠み、偏見や対抗勢力を意識するより、ひたすら上昇したい思いを込めました。

 23日の投票日は、有権者の審判を待つ重苦しい胸の内がつい出てしまいました。

  ふるさとの 人の心の あたたかさ それにつけても 雲の厚さよ

そして、当選を決め、

  ふるさとや 21世紀への 海開き

と詠み、政治という厳しくも可能性を秘めた大海へ舟をこぎ出しました。

 当選証書をいただいた際は、

  真夏日に 当選証書 光輝く

と、少々浮かれ気味でした。

 加えて、

  いつまでも 変わらないよねと 妻のつぶやき

と、妻に贈りました。

 私たち夫婦は、これまで互いの仕事や立場を尊重し合ってきました。

 選挙では、陣営内で不満も出ましたが、タレントとして仕事を抱える妻を巻き込まないよう努めました。

 自民党石川県連は、私たちの夫娼婦随ぶりを有権者にアピールするために、妻に選挙区に張り付くよう要望しましたが、私はこれを拒みました。

 しかし、そのことを心苦しく思っていた妻は、私の勝つか負けるかぎりぎりの戦いぶりを見て、後半には時間の許す限り応援に駆け付けてくれました。

 句では、こうした妻への感謝とともに、

「もちろん、これからも変わらずに二人で頑張っていこう」

という気持ちを込めました。

 8月4日の初登院では、

  あおい夏 あおいで踏みしめる 赤じゅうたん

  初登院 行く手さえぎる セミの声

 と、二つ詠みました。

 一句目は議員になった実感と、初めて入る国会議事堂の重々しさを表現しましたが、二句目は、それを取材するための質問攻めする報道陣を少し皮肉ってみました。

 俳句ではありませんが、

  喜びは 和をもって 貴しとなす

と、詠んだものもあります。

「喜」は森喜朗さん、「和」は奥田敬和さんを掛けています(ちょっと生意気だったかな)

 参院議員として私に課せられた使命は、21世紀に向けた新たな政治家像を模索することだと受け止めています。

 政治不信がはびこる現状を打破し、若い世代による時代の幕開けを願って、次の句で締めくくらせていただきます。

  行く月と 昇る朝日や 永田町

 1996年2月

馳 浩


馳浩の著作に戻る